岡の煉瓦橋 (仮称) (その1)(その2)
所在地:埼玉県大里郡岡部町岡3218付近(旧中山道)
天端幅 3.8m、幅 7m(歩測)、高さ 2.5m、アーチ直径
2.7m 建設年:不明(昭和初期?)
煉瓦造りのアーチ橋(道路橋)としては、埼玉県に2基しか(筆者の知る限り)現存しない珍しいもの。
岡の煉瓦橋と高台橋(さいたま市)のみである。奇しくも2基ともに旧中山道に架かる。
武蔵国郡村誌によれば、明治9年時点での榛沢郡岡村(現在の岡部町岡)付近での
中山道の道幅は4間(7.2m)なので、岡の煉瓦橋の橋幅とほぼ同じである。
岡の煉瓦橋の表積みには黒っぽい色の焼過煉瓦が使われているが、これは埼玉県に
現存する土木構造物では珍しい。面壁天端で煉瓦の平の面がわずかに露出しているが、
煉瓦には機械成形の跡は確認できない。この煉瓦は手抜き成形であるようだ。
使われている煉瓦はおそらく、近隣の藤田煉瓦製造が製造したものであろう。
藤田煉瓦製造株式会社は明治41年(1908)に、児玉郡藤田村滝瀬(岡の煉瓦橋から北へ1Kmの付近、
現.本庄市滝瀬253)の備前渠川の河畔で操業を開始している(→埼玉県行政文書 明3617-4)。
煉瓦は旧中山道を経由し、小山川の旧・滝岡橋(1901年竣工、木造土橋)を渡って搬入されたのだろう。
なお、岡の煉瓦橋が建設された当時、この付近は大里郡岡部村であった。
大正時代に設置されたと思われる、岡部村の道路元標が今もなお残っている。
追補:岡の煉瓦橋は、土木学会の[日本の近代土木遺産]に選定された。
→日本の近代土木遺産のオンライン改訂版、書籍版は日本の近代土木遺産(土木学会、丸善、2005)。
←岡の煉瓦橋(下流から) 下を流れる排水路は、福川(利根川の支川、一級河川)の 水源となっている。煉瓦橋の上流側は暗渠化されていて、 アーチ部にはコンクリートの蓋が付けられている。 以下の理由から、岡の煉瓦橋が建設されたのは、 明治20年代ではないかと推定していたのだが... (1)日本煉瓦製造(株)特有の赤れんがではない この橋から7Km東には、日本煉瓦製造の工場(深谷市、明治20年創業)が あるが、岡の煉瓦橋に使われている煉瓦は、黒っぽい色をしている。 これは登り窯による焼過煉瓦だと思われ、形も不揃いなものが多い。 (2)明治20年代の煉瓦造り樋門とアーチリング中央の組み方が同じ 例えば、埼玉県で建設された倉松落大口逆除(春日部市、明治24年)、 五ヶ門樋(庄和町、明治25年)と同じ竪積みである。 しかし、使われている煉瓦は平均実測寸法が、現代とほぼ同じ、 212×101×58mmなので、JES(日本標準規格、1925年制定)以降に 製造された可能性が高い。この橋は昭和に建設されたのだろうか? |
↑下流の右岸から アーチリングは煉瓦小口で、 3重に巻きたてられている。 直径のわりに巻きたて数が少ない。 橋の構造は煉瓦造りの樋門と同じで、 もたれ式の翼壁を持つ。 部分的に赤れんがも使われている。 |
↑下流の左岸から 面壁の煉瓦はイギリス積みで組まれている。 アーチトップ(中央)の3列の煉瓦積みは長手と小口で、 面壁から出っぱっている。 また、アーチトップから 45°の位置の煉瓦積みも長手と小口。これは竪積みと 呼ばれる技法で、構造的な補強を目的とする。 面壁から出っぱりは構造的には意味がなく、装飾が目的だろう。 |