高台橋 (たかだいばし)
場所: 埼玉県さいたま市大宮区北袋町一丁目、高沼用水(旧中山道) -
周辺の風景 -
形式: 煉瓦アーチ橋、アーチ直径
2.8m(推定)、天端幅 4.1m 建設年:不明(明治期?)
埼玉県には煉瓦造りのアーチ橋(道路橋)は、2基しか(筆者の知る限り)現存しない。
高台橋と岡の煉瓦橋(大里郡岡部町)である。奇しくも2基ともに旧中山道(橋の建設当時は
五号国道)に架けられている。なお、旧中山道には榎戸樋管(北足立郡吹上町、1901年竣工)も
現存する。これは水門の一種だが道路橋を兼ねていて、煉瓦造のアーチと親柱を持つ。
榎戸樋管の外観は高台橋とほぼ同じである。ただし、榎戸樋管と比べると高台橋には
石材を多用した豪華な装飾が施されている。高台橋の煉瓦小口で5重に巻きたてられた、
アーチ構造は、全国的にも珍しく貴重な存在である。
追補:高台橋は土木学会の[日本の近代土木遺産]に選定された。
→ 日本の近代土木遺産のオンライン改訂版、書籍版は日本の近代土木遺産(土木学会、丸善、2005)。
架橋地点:
高台橋は旧中山道と高沼(鴻沼)用水の交差地点に架けられた橋で、JR
さいたま新都心駅の
東口から徒歩5分の地点に位置する。すぐ近くには高台橋交差点と高台橋バス停がある。
橋の存在は希薄となってしまったが、その名前だけは今も残っている。
また橋の北側には、お女郎地蔵と火の玉不動(不動明王像)の2体の石仏が祀られている。
江戸時代には付近に刑場があったこともあり、架橋地点はいわくつきの場所なのである。
余談だが、高台橋というのは台地部(高台)に架けられた橋によくある名称で、
さいたま市見沼区の見沼代用水には、少なくとも2基の高台橋が存在する。
西縁水路(県道1号、東大宮四丁目)と東縁水路(県道105号、東宮下)である。
高沼用水は見沼代用水の西縁(ここから西方へ約1Km)から取水する農業用水路で、
旧・与野市や浦和市のかんがいに使われた。その起源は、享保年間(1730年頃)に鴻沼溜井の
代用水として、井沢弥惣兵衛によって開削されたものである。溜井の中央に排水路である鴻沼川を
配置し、それを挟むように東縁と西縁の用水路が設けられた。高沼用水の排水は鴻沼川に集められる。
沼の開拓方式と水路の配置形態は見沼代用水とほぼ同じであり、高沼代用水は見沼代用水の
ミニチュア版ともいえる。高沼用水路の開削とほぼ同時に石橋が架けられたようで、
下流の旧・与野市にはそれらに関する石橋供養塔が2基残っている。
明治時代に架橋?:
高台橋の建設年は不明だが、明治21年(1888)の埼玉県議会の予算審議で、高台橋の建設予算が
否決された記録が残っている。”五号国道中 大宮ノ煉瓦造橋梁ハ一年位ハ保存十分ナリ 依テ之ヲ削リ..”と
あり(→埼玉県議会史 第一巻、1956、p.850)、老朽化した木造橋を、煉瓦橋へ架け替える案が却下されている。
このことから、高台橋は明治21年の段階で既に、煉瓦造の橋としての設計が済んでいたこと、
老朽化が激しいので、そのまま運用に耐えられるのは1〜2年だったことが窺い知れる。
ただし、煉瓦造で設計されていたという記述しかないので、高台橋の形式が現在のような
煉瓦アーチだったのかはわからない。明治21年度の建設は見送られたわけだが、予定通りに
翌年の明治22年に架橋が実現したのかも、その後の建設記録が一切見つからないので不明である。
しかし、当時の橋の状況からすると、明治22年〜23年には新しい高台橋が建設されたのは確かであろう。
なお、高台橋は武蔵国郡村誌の足立郡北袋村(第二巻、p.212)に、”中山道に属し村の西北端
高沼用水の下流に架す 長9間巾4間 土造”と記されている。同書の記述内容は明治9年の調査を
基にしているので、この高台橋とは埼玉県議会で審議された老朽化した木造橋のことである。
土橋(橋面を土で舗装した木造橋)でありながら、長さ16.3m、幅7.2mと規模は大きい。
橋の幅が大きいのは、中山道の道幅である4間に合わせたためだと思われるが、
橋長は下を流れる高沼用水の水路幅に対して大きすぎると思われる。
ちなみに、当時の北袋村は戸数34戸、人口165人の小さな村であった。
明治22年(1889)に北袋村は上木崎村、下木崎村、木崎領領家村、瀬ヶ崎村、駒場村、
本太村、針ヶ谷村と合併し、北足立郡木崎村となった。木崎村は昭和8年(1933)3月31日まで存在した。
昭和8年4月1日には木崎村を構成していた旧村のうち、北袋村だけが大宮町と合併し、
残りの村々は浦和町と合併している。
大正末期に設置されたと思われる、木崎村の道路元標が今も残っている。
↑高台橋の全景(下流から) さいたま新都心駅の1番ホームから撮影。 哀しいかな、全貌が見渡せる場所は、ここしかなかった。 橋全体がコンクリートで埋め殺しとなっているため、 旧中山道を歩いていても、存在すら気づかない。 高台橋の下を流れるのが、高沼用水。 高沼用水は暗渠になっている。 高台橋は煉瓦造りの樋門と同じような構造であり、 両橋詰には翼壁が設けられていると思われるが、 コンクリートで覆われてしまったので、確認できない。 |
↑高台橋の詳細 左右の親柱(塔)には銘板が嵌め込まれている。おそらく、 橋名と竣工年が刻まれているはずだ。しかし、銘板が道路から 最も確認しづらい面に設けられている点は、納得がいかない。 天端付近には帯石、アーチリング中央には要石と、石材による 豪華な装飾が施されている。煉瓦造りトンネルの坑口を 彷彿させるデザインである。 アーチリングは煉瓦小口で、5重に巻きたてられている。 アーチ径は大きいが、竪積みは施されていない。 面壁の煉瓦はイギリス積みで組まれている。 |