見沼代用水橋梁 (みぬまだいようすい)

 所在地:埼玉県行田市荒木〜小見(おみ)、見沼代用水
 
形式:ポニーワーレントラス橋(錬鉄製の平行弦)、スパン長30.2m  建設年:大正10年(1921)

 見沼代用水橋梁は、秩父鉄道(旧.上武鉄道)に吸収合併される前の、北武鉄道が建設した。
 北武鉄道の行田駅(現.行田市駅)〜羽生駅間は、大正10年(1921)に開業している。
 この橋梁の300m西にも、北武鉄道が建設したと思われるプレートガーダー橋(白鳥田落橋梁、煉瓦橋台)が、
 現存する。見沼代用水橋梁のトラス部分は、英国のパテント・シャフト社が明治20年(1887)頃に
 製作したもの。明治時代中期まで、官設鉄道の標準トラスであったポーナル型の100フィート、
 ポニーワーレントラスである。大正10年に建設された見沼代用水橋梁に、30年以上も前の
 古いトラスが使われている理由は、このトラスが他線から転用されたものだからである。

 見沼代用水は、1727年に井沢弥惣兵衛(いざわ やそうびょうえ)によって開削された農業用水路。
 見沼(現在のさいたま市付近にあった溜め池)の代りとして造られたので、この名称となった。
 この付近では見沼代用水は
星川(利根川水系の一級河川)の流路を水路として使っている。
 農業用水路として利用されてきた見沼代用水であるが、社会環境の変化により、
 現在では、農業用水と都市用水の共用水路としての役割を担うようになった。
 西縁用水路から荒川連絡水道専用水路により、埼玉県と東京都の水道水を、荒川へ送水している。

 秩父鉄道の旧車輌
↑秩父鉄道の東行田駅〜武州荒木駅の間に
 ある。見沼代用水橋梁の下流の左岸には、
 秩父鉄道の旧車輌(クハ859)が置かれている
 もとは小田急で走っていたものらしい。
 秩父鉄道の車輌は、みなJRや他社の
 払い下げ品である。車輌だけでなく、
 このトラス橋もどこからか転用されたもの
 だという。橋梁の補助レール(安全レール?)
 は、米国の
スチールトン 60-A.S
 B.S.CO. STEELTON IIIIIIII 1920 O.H

  見沼代用水橋梁
 ↑見沼代用水橋梁(上流の右岸から)   
  現代のトラスは部材同士がガゼットを介して、剛結(あるいは
  溶接)されているが、このトラスは古典的な仕様であり、
  部材はピンで結合されている。部材は鋼ではなく、錬鉄のようだ。
  なお、橋梁付近の10数基に及ぶ送電線の支柱は古レールを
  転用したもので、CAMMELLS STEEL W? 1900.S.T.K. SEC461の
  刻印が確認できる。1900年製造であり、発注者のS.T.Kは総武鉄道だろうか。


 橋台はレンガ製
↑見沼代用水橋梁の支承部
 橋台はレンガ。天端に笠石が貼られている。
 レンガの平均実測寸法は220×105×58mm。
 上敷免製(深谷市の
日本煉瓦製造が製造)の
 刻印が見られる。ただし右岸の橋台には、
 
大阪窯業らしき刻印も見られる。
 桁の支承方式は、平面支承(桁下のプレートを
 介して橋台の床石の上に置かれている)。

   下から見た見沼代用水橋梁
  ↑下から見た見沼代用水橋梁
   横桁はトラスの下弦材の上に乗っている。
   断面の形が水面側にふくらんでいることから、
   魚腹形と呼ばれる。打ち込まれた大量のリベットが
   壮観である。ちなみに秩父鉄道の橋梁は色が
   赤で統一されている。赤い塗料は他の色に比べて
   値段が安いというのを、何かで読んだ覚えがある。   

(参考文献) 日本の近代土木遺産、土木学会、丸善、2001(→日本の近代土木遺産のオンライン改訂版


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