煉瓦樋門に関する石碑 (杉戸町)
←安戸落伏越の竣工記念碑(杉戸町佐左衛門) 安戸落伏越とは大島新田関枠(明治30年5月竣工、当時は 安戸落の起点)から700m下流に設けられていた煉瓦造りの伏越。 安戸落の下を中郷用水路(葛西用水の支線)が横断していた。 建設工事は明治30年(1897)12月に起工し、明治31年3月に 竣工した。使用煉瓦数は33,000個。 中郷用水元圦(琵琶溜井、現.幸手市)の煉瓦改良工事も これと同時に竣工している。安戸落伏越の設計者は 大島新田関枠、神扇落樋管と同じく、埼玉県技手の 小河原 次良一である。小河原は幸手市上宇和田の出身。 杉戸町には明治30年5月に惣新田関枠(中川、杉戸町椿、 場所は現在の古葛西橋の付近であろうか)、 明治32年5月に念仏堰(大膳堀、内田三丁目)と相次いで 煉瓦水門が建設されているが、これらの一連の設計も 小河原が担当した可能性が高い。 |
↑神扇落樋管の竣工記念碑 (北葛飾郡杉戸町椿) 神扇落が中川に合流する地点には、 現在、排水機場が設けられているが、 その敷地内に残っている。 明治30年10月建立。神扇落樋管は 明治30年5月の竣工。県道319号線の 丸田橋付近に設けられ、その外観から めがね橋とも呼ばれていた。 2連アーチの逆流防止水門であるが、 天端には権現堂川用水を送水する 掛樋(水路橋)が併設されていた。 碑文には技術官 埼玉県技手 小河原 次良一、工事監督 青木吉次郎の名が記されている。 |
↑米野谷修堤記 (北葛飾郡杉戸町才羽) 中川に架かる万年橋から北へ300mの 八幡神社内にある。明治30年10月建立。 地元民が主体となり、この付近の中川の 右岸堤防と道路を改修した記念碑。 当時の町村土木事業であった。碑の裏側には 工事関係者として、田宮村長他40名の名前が 記されている。工事は明治28年1月に起工し、 明治30年5月に完了している。 米ノ谷樋管(この地点から500m下流の 中川右岸に残る煉瓦造りの樋管)の竣工も 明治30年5月であるので、米野谷堤の修築と 同時に樋管の改良が実施されたと思われる。 |