文覚川 (その1) (その2)
撮影地:埼玉県大里郡大里町、比企郡吉見町
文覚川は延長約9Kmの荒川水系の河川。
大里町小八林を起点とし、荒川の右岸堤防の裾に沿って流れ、比企郡川島町松永で
市野川の左岸へ合流する。上流部は吉見第一用水路とも呼ばれている。
これは歴史が元禄16年(1703)以前にまで遡れる古い用水路である。
現在、文覚川の下流部は吉見領の排水幹線として整備されている。
なお、文覚川というのは近年の名称だが、その由来は江戸時代に地元の治水に
貢献した文右エ門と角エ門という2人の名前を冠したようである(埼玉県行政文書 明1792-12)
(注)人名は原文のまま記載したが、角エ門は覚右衛門だと思われる。
(1)文覚川の起点(上流から) 大里町小八林 大芦橋(荒川〜和田吉野川)の右岸アプローチ部は 横手堤と呼ばれる控堤で、寛永年間(1620年頃)に 吉見領によって築かれた。吉見領へ洪水が流入するのを 防ぐためのもので、吉見領囲堤の北端の堤防である。 文覚川の起点は横手堤の東側にある。 写真の水路が分量樋(1913年竣工、石造り)によって 2派に分水され、左が文覚川、右が横見川となる。 |
(2)起点付近(上流から) 大里町小八林 起点付近の流路は直線である。水路は台形断面 (コンクリートの三面張り)で、天端幅は約1.8m、深さは約1.4m。 下流に見えるのは日本最長の長さを誇る荒川水管橋。 荒川水管橋から100m上流の耕作道に架かる橋は、 石橋(桁が石、橋台はコンクリート)である。 不要になった石材を橋桁に再利用したものだろう。 |
(3)荒川の右岸堤防上から 吉見町中曽根〜上砂 写真(2)から800m下流。周辺には広大な水田地帯が 広がる。文覚川は荒川の右岸堤防の裾を流れる。 中曽根地区の荒川の右岸堤防には、地蔵1体と 3基の庚申塔が祀られている。上砂地区の右岸堤防には 修堤記念碑(大正3年建立)が残っている。 |
(4)庚申塔(右岸から) 吉見町上砂〜地頭方 (3)から1Km下流。ゴルフ場のクラブハウス付近。 文覚川はフェンスと右岸堤防の間を流れている。 右岸に延享二年(1745)建立の庚申塔(三猿の像付き)が 祀られている。施主上砂村 女中三十人と記されているので、 女人講による建立であろう。 |
(5)椀箱淵の合流(下流から) 吉見町一ツ木 写真(4)から1.3Km下流。 右岸へ椀箱淵(わんばこぶち)からの水路が合流する。 椀箱淵は農業用水の溜池でもあるので、その余水が 放流されるのだろう。文覚川には数箇所に チェックゲート(水位調節堰)が設けられている。 この地点から200m上流に位置する荒神社には 陸田開拓記念碑(昭和43年建立)が残っている。 昭和33年に荒川の堤外地に約17haの陸田を造成したのを 記念したものである。ただしそれらは現在、ゴルフ場と 運動公園に転用されているようだ。 また荒神社の境内には4基もの塞神に加え、 水神である九頭龍大権現(元治元年:1864建立)も祀られている。 さらに昭和5年に内務省が設置した古い測量の水準点と基標が、 残っている。これらは荒川の近代改修のさいに設置されたものだろう。 |