水準点、三角点 (荒川水系:その1)_ |
↑測量の基標 埼玉県大里郡川本町畠山 植松橋(荒川)の右岸上流100mに 残っている。花崗岩製で12cm角、 高さは約40cm。内務省 22/24の銘が 確認できるので、戦前のもの。 大正末期から昭和初期にかけて実施 された荒川の近代改修(工事起点は この付近)で設置された標石だろう。 |
↑測量の基標 熊谷市万平町一丁目 万平公園(旧熊谷堤)(注2)の東端に 残っている。この標石も花崗岩製。 形状と様式は川本町の基標と 同じであり、内務省と19/30の文字が 確認できる。標石の基部が露出して いるのは、旧熊谷堤が削られている からだろうか。 |
↑測量の基標 埼玉県鴻巣市滝馬室、稲荷神社 御成橋(荒川)から上流へ100mの左岸、 稲荷神社の付近。段丘上に鳥居があるが その東側の道路脇に残っている。花崗岩製の 12.5cmの角柱で地上高は25cm。南を向いた面に 内務省、背面には16/6と刻まれている。 頂部には半球体(水準点)は設けられていない。 植松橋、万平公園と同形式の標石。 |
↑几号の基標(B.M.13) 埼玉県大里郡川本町菅沼、菅沼天神社 敷地内の東南端、農道との境界付近に 残っている。菅沼天神の南側には 大里用水の沈砂池が設けられている。 基標は花崗岩製で20cm角、高さは 約23cm。南東北西の面にそれぞれ、 不(几号:注1)B.M.13、昭和五年、 内務省、荒川とある。 |
↑測量の水準点と几号の基標(B.M.12) 埼玉県比企郡吉見町一ッ木、荒神社 糠田橋(荒川)から北西へ1.6Km、荒川の右岸 堤防の裾、荒神社(一ッ木村の村社)の境内にある。 荒神社と右岸堤防の間には文覚川(市野川の 支川)が流れている。荒神社には元治元年(1864)の 九頭龍大権現(水神)と4基の塞神(道祖神の一種) も祀られている。手前が水準点(15cm角、頂部には 直径45mm、高さ20mmの半球体)。 奥に見える花崗岩の標石が几号の基標(20cm角)。 1m四方に4本のコンクリート杭が打たれている。 これは基標を保護するためだろう。基標の基部は コンクリートで固定されている。基標は以下の物と 同形式で、不(几号) B.M.12。 |
几号の基標 基標はただ地中に埋め込んだのではなく、 下部はコンクリートの基礎で固定されている。 基礎から基標の頂部までの高さは23cm。 几号の寸法は横棒が65mm、縦棒が40mm。 |
↑几号の基標(B.M.11) 埼玉県鴻巣市滝馬室、氷川神社 御成橋から下流へ200mの左岸、 氷川神社の境内。社殿の東側、イチョウの 木と集会所の間にある。花崗岩製で 一辺が18cmの角柱(頂部に半球体なし)。 川島町や桶川市の標石とは大きさが 微妙に異なるが、不(几号)B.M.11、 昭和五年、内務省、荒川の文字が確認 できるので、同一時期の設置だ。 なお境内の西端には埼玉県の 一級水準点もある。 |
↑几号の基標(B.M.10) 比企郡川島町下小見野、氷川神社 徒歩橋(市野川)の右岸から南西へ 300m、氷川神社の境内。社殿の 裏(北側)で落葉に埋もれている。 19.5cmの角柱で地上露出高は11cm 四面に不(几号)B.M.10、昭和五年、 内務省、荒川と刻まれている。 設置地点は市野川の右岸だが、 市野川の近代改修(昭和初期に埼玉県が 実施)ではなく、荒川の近代改修の さいに測量の基標として設置されたもの。 |
↑几号の基標(B.M.9) 桶川市川田谷7193付近、金比羅堂 太郎右衛門橋(荒川)から1.1Km上流の 左岸、金比羅堂という小さな祠の鳥居前。 県道57号線の原交差点から西へ200m、 丸井倉庫の東側。この地点から600m西で 荒川の右岸へ市野川が合流しているのが、 この標石が設置された理由だろう。 20cmの角柱で地上露出高は24cm。 1m四方に4本のコンクリート杭(15cm角)が 打たれている。南東北西の面にそれぞれ、 不(几号)B.M.9、昭和五年、内務省、荒川。 |
↑几号の基標(B.M.7) 上尾市平方、橘神社 開平橋(荒川)の左岸橋詰から北東へ 300m、橘神社の境内。社殿の東側の塀の 脇に置いてある。というのはコンクリートの 基礎ごと掘り起こされているからだ。 基礎は平面が60cm×55cm、深さが65cmと 意外に大きく頑丈そうだ。基標は20cmの 角柱で地上露出高は21cm。四面に 不(几号)、B.M.7、昭和五年、内務省、 荒川とある。旧平方村には、大正初期まで 平方河岸があり、水運が栄えた。 また、上尾と川越を結ぶ交通の 要所でもあった。橘神社の入口には 平方村の道路元標が残っている。 |
↑几号の基標(B.M.5) さいたま市西区西遊馬(あすま)、氷川神社 馬宮東小学校から南へ50mに位置する、 氷川神社の境内、集会所の裏側にある。 村社 氷川神社はかつては遊馬村の 鎮守だった。ここから北西へ1.7Kmの地点では JR川越線が、荒川を横断している(荒川橋梁) その直上流では入間川が荒川に 合流している。 基標は20cmの角柱で地上高は21cm。 南東北西の面にそれぞれ、不(几号)B.M.5、 昭和五年、内務省、荒川とある。 コンクリートの基礎(59cm角、地上高13cm)に 固定され、1m四方には4本のコンクリート杭 (15cm角、地上高22cm)が打たれている。 |
↑几号の基標(B.M.4) 朝霞市下内間木(しもうちまぎ)、氷川神社 氷川神社は荒川の右岸堤防から100m西に 位置する。基標は社殿の東側にある。 かつて新河岸川はこの付近で荒川へ 合流していたので、この地点は荒川河川改修 計画のさいには重要となったのだろう。 氷川神社の境内には、荒川の河川改修に 伴い、大正9年に建立された水神宮が残っている。 基標は20cmの角柱で地上高は23cm。 東北西南の面にそれぞれ、不(几号)B.M.5、 昭和五年、内務省、荒川とある。 コンクリートの基礎(59cm角、地上高15cm)に 固定され、1m四方には4本のコンクリート杭が 打たれている。 |
↑几号の基標(B.M.2、入間川) 川越市福田、赤城神社 落合橋(越辺川、小畦川、入間川)の 右岸橋詰から南西へ400mに位置する、 赤城神社の境内、鳥居の脇にある。 基標は20cmの角柱で地上高は13cm。 南東北西の面にそれぞれ、不(几号)B.M.2、 昭和五年、内務省、入間川とある。 ここは入間川の右岸堤防から70mしか 離れていない地点である。入間川の対岸、 川越市平塚新田の左岸堤防の裾にある、 氷川神社には[B.M.No.7 埼玉縣]と 記された古い様式の基標も残っている。 これらは昭和初期に実施された入間川と その支川の改修のさいに設置されたもの。 |
(注1)几号水準点(きごう)とは、明治初期にお雇い英人の指導で
実施された全国測量のさいに建てられたもの。
几号(写真に見られるような不のマーク)が付けられた水準点である。
正確な国内地図作成のための測量用に設置されたものだが、不思議なことに
昭和初期の河川計画でも、几号の付けられた水準点(補助標石?)が設けられている。
(注2)万平公園は旧熊谷堤(桜堤として高名だった荒川の堤防)の跡地を
公園として整備したもの。園内には約150mに渡って旧熊谷堤が残っている。
現在の荒川左岸堤防は南へ150mの地点にある。
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