文覚川 (その2) (その1)
撮影地:埼玉県比企郡吉見町
(1)今泉大橋の付近(上流から) 吉見町今泉 吉見運動公園管理棟の南側にあるのが今泉大橋(注)。 県道271号線の道路橋だが、東(写真の左方向)へ 進むと荒川の横堤の上を通り、糠田橋(荒川)に辿り着く。 この付近では文覚川の天端幅は、約5mと広くなるが、 素掘りのままである。今泉大橋の下流には、 北下砂堰(転倒ゲート1門)が設けられている。 |
(2)塩田町堀の合流(下流から) 吉見町丸貫(まるぬき) 写真(1)から1Km下流。右岸へ農業排水路である塩田町堀が 合流する。塩田町堀は控堤、大工町堤に沿って流れる。 大工町堤は江戸時代に築かれた村囲堤である。 塩田町堀が合流する地点には、曲面施工された練り石積みの 護岸が施されている。この付近から文覚川は コンクリート護岸となるが、何故か左岸のみの複断面である。 |
(3)水位調整堰(上流から) 吉見町古名(こみょう) 写真(2)から400m下流。御成橋の右岸付近。 本来は用水路だった(吉見第一用水路)文覚川だが、 現在は用水を地下水やパイプラインに頼る比率が 多くなっていて、文覚排水路とも呼ばれる。堰の左岸には 元禄三年(1690)建立の地蔵菩薩が祀られている。 |
(4)吉見桜堤の付近(上流から) 吉見町蚊斗谷(かばかりや) 写真(3)から800m下流。文覚川は吉見桜堤(荒川の旧堤防)の 裾を流れる。荒川の近代堤防は桜堤の東側(写真の左方向)にある。 吉見桜堤は吉見領大囲堤と呼ばれた輪中堤防であり、 和田吉野川、荒川、市野川の洪水から吉見領(現在の吉見町)を 守るためのもの。文覚川は領内の排水路としての役割も大きかった。 |
(5)文覚川の最下流部(上流から) 左岸:吉見町飯島新田、右岸:吉見町荒子 写真(4)から1.4Km下流。吉見排水機場の付近。 奥に見えるのは市野川の左岸堤防、台山堤。 文覚川は台山堤を樋管で横断して、 400m下流で、市野川の左岸へ合流する。 この付近には明治26年(1893)に建設された、 煉瓦造りの樋門:文覚門樋の遺構が残っている。 文覚門樋は排水機場が建設されるまで、 文覚川の主要排水施設であり、市野川から 文覚川へ洪水が逆流してくるのを防いでいた。 また、吉見排水機場の北に隣接する稲荷神社には、 石橋供養塔、弁財天などの石仏群が祀られている。 この付近は水害常襲地だったので、水に関する神様が多い。 |
(注)今泉大橋は荒川の右岸堤防へのアプローチ区間の高架橋である。
写真(1)で今泉大橋の下に見える小さな橋は、文覚川の今泉橋。
今泉橋の上下流には、道しるべを兼ねた馬頭観音が2基現存する。
享保十三年(1728):左 く王んおん道十八丁 右 こうのすまで一里
寛政五年(1793):よしみくわんおん道
共に吉見観音への道標となっている。