安戸落 (その2) (その1

 撮影地:埼玉県北葛飾郡杉戸町、春日部市

 松源寺橋の付近
(1)松源寺橋の付近(上流から) 杉戸町才羽(さいば)
 安戸落は護岸が施されていない素朴な排水路だ。
 右岸側に沿って舗装された道路が続いている。
 松源寺橋の名は橋詰に位置する松源寺(禅宗曹洞派)に
 由来するのだろう。クヌギの大木が周囲の農村景観と
 調和していて、なかなか風情がある。

   伝兵衛橋の付近
  (2)伝兵衛橋の付近 (下流から) 杉戸町北蓮沼
   写真(1)から1Km下流。伝兵衛橋は県道319号線の橋。
   安戸落には開拓者の名が付けられたと思われる橋が多い
   (例えば
兵右衛門橋)。両岸に展開する広大な水田地帯は
   圧巻だが、これらは江戸時代に新田開発されたもの。意外なことに、
   並塚村、蓮沼村には当山派修験の寺院が多かった(注1)

 安戸大橋の付近
(3)安戸大橋の付近 (下流から) 春日部市不動院野
 写真(2)から600m下流。安戸大橋(写真奥のトラックが
 走っている地点)は、埼玉葛飾広域農道の橋。
 この付近は杉戸町大塚、庄和町立野との境界である。
 安戸落の堤防は杉戸町大塚から春日部市不動院野に
 かけて急激に高くなっている(注2)。写真のような小橋は
堤防に切欠き(
陸閘に似た形態)を設けて架けられている。

   
辛松橋の付近
  (4)辛松橋の付近(下流から) 春日部市八丁目
   写真(3)から700m下流。県道320号線(かつては粕壁宿と
   宝珠花河岸を結ぶ街道)を通すのが辛松橋(こうまつ)。
   橋名に旧.辛松村(現.春日部市八丁目、不動院野、小淵、
   樋堀、樋籠、新川村、牛島)が冠された歴史の古い橋である。
   辛松村は1954年に春日部市へ合併している。

 安戸落の終点


 (5)安戸落の終点(上流から)
 左岸:春日部市八丁目、右岸:春日部市樋篭(ひろう)
 写真(4)から250m下流。安戸落は中川の右岸へ合流する。
 安戸落の最下流部では川幅(天端)は約10mある。
 合流地点には中川の洪水が安戸落へ流入するのを
 防ぐための水門、
安戸落逆止堰(1931年竣工)が設けられている。
 安戸落逆止堰はコンクリートで改築される前は、
 煉瓦造り(明治28年竣工)であった。現地には煉瓦と
 コンクリートの2つの水門の竣工記念碑が残っている。
 かつてこの付近は水害に悩まされたようで、
 合流地点の左岸側に鎮座する向島稲荷の境内には、
 水害防止を祈願した
水神宮や石仏などが祀られている。
 なお、安戸落の200m北側では四ケ村落が中川に
 合流しているが、そこには明治29年(1896)竣工の
 煉瓦水門、
四箇村水閘が残っている。

(注1)新編武蔵風土記稿の葛飾郡並塚村(2巻、p.201)によれば、
 光明院と龍蔵院、蓮沼村(2巻、p.200)によれば、龍宝寺が存在した。
 これらは当山派修験(江戸青山鳳閣寺配下)の寺院である。
 すぐ南の小渕村には本山派修験(京都聖護院末)であり、
 関東地方の修験の大先達である不動院が存在したにもかかわらず、
 近隣に当山派修験が勢力を伸ばしていたことが興味深い。

(注2)安戸落の堤防については、武蔵国郡村誌の葛飾郡不動院野村(14巻、p.313)に、
 ”安戸落に沿ひ村の北方大塚村界より東方八丁目村界に至る
 長七百間 堤敷三間馬踏一間
 修繕費用は民に属す”とある。落の堤防にしては堤防敷の幅が約5.5m、
 天端幅が約1.8mとかなり大きい。郡村誌は明治9年(1876)の調査を基に
 編纂されたので、現在の巨大な堤防は当時から既に存在していたことがわかる。
 この堤防は中川(庄内古川)から洪水が逆流してきた時に、周辺の湛水被害を
 軽減するために、江戸時代から綿々と築かれたものだろう。


戻る:[河川の一覧]  安戸落:[上流へ][下流(中川)へ