中川 − 大榎橋から庄内橋まで [中川のページ一覧]
撮影地:埼玉県北葛飾郡杉戸町、庄和町、春日部市
この付近の中川は昭和初期に改修されるまでは庄内古川だった。
明治9年(1876)の調査を基に編纂された、武蔵国郡村誌の葛飾郡大塚村(14巻、p.322)には、
”庄内古川:深三尺より四尺巾四間 緩流清水 村の北方蓮沼村より来り 南方八丁目村界に至る
長さ二十一町十二間”と記されている。水深が0.9m〜1.2mと浅く、川幅は7.2mと狭かった。
庄内古川という名称は、その流域が下総国庄内領だったことに由来する。
近代以前は江戸川ではなく、権現堂川と庄内古川が武蔵国と下総国の国境だった。
例えば、北葛飾郡松伏町に残る寛政年間(1800年頃)建立の石橋供養塔には、
村名の前に下総国葛飾郡庄内領と記されている。
なお、茨城県五霞町に残る元栗橋(栗橋町は埼玉県北葛飾郡)という地名もその名残である。
(1)万年橋の付近(下流から) 右岸:杉戸町北蓮沼、左岸:庄和町倉常 万年橋から700m下流の地点。右岸には権現堂川用水の 流末が浪荒樋管を経由して排水されている。 権現堂川用水の路線はおおむね、中川の右岸、 県道319号惣新田春日部線に沿っている。 権現堂川用水とはその名のとうり、旧権現堂川から 取水していた農業用水。中川の右岸堤防の裾には 権現堂川用水碑(明治25年建立)が建てられている。 新渠の開削を記念した石碑である。 |
(2)大榎橋の付近(右岸下流から) 右岸:杉戸町大塚、左岸:庄和町榎 写真(1)から600m下流。大榎橋が架かる道は杉戸町から 宝珠花(庄和町)の河岸場(江戸川)へと抜ける旧街道だった。 この地点の渡河は大榎橋が架かるまでは、倉常の渡しと 呼ばれた渡船だった。大榎橋の右岸橋詰には3基の 庚申塔(2基は文字塔)が祀られている。庚申塔は道標も 兼ねていて、古き街道の面影が偲ばれる。 左岸300mには石橋供養塔(1750年建立)も祀られている。 なお、北葛飾郡宝珠花村の道路元標は今なお残っている。 |
(3)左岸の護岸 庄和町榎 大榎橋の下流付近では、木製の杭による土留め(護岸)が 見られる。この付近は庄和町、杉戸町の町界と中川の 流路が一致していない。昭和初期の河川改修のさいに 蛇行が直線化されたのだろう。広大な水田地帯の中には 雑木林が点在する。旧家は屋敷林(防風林)に囲まれて いる。この付近の中川の景観は自然が豊かで素晴らしい。 |
(4)安戸落の合流(右岸上流から) 右岸:春日部市八丁目、左岸:庄和町上柳 写真(1)から1.2Km下流。向島稲荷の脇では安戸落(農業排水路)が 中川の右岸へ合流する。合流地点には安戸落逆止堰(昭和6年竣工の 逆流防止水門)が残っている。この地点から200m上流では、 右岸には四ケ村落も合流している。その合流地点には 明治29年(1896)竣工の煉瓦水門:四箇村水閘が残っている。 |
(5)打田落の合流(左岸上流から) 左岸:庄和町上柳、右岸:春日部市樋篭(ひろう) 写真(4)から200m下流。左岸へ庄内領用水路の 流末である打田落が合流する。打田落は立野ポンプ場の 付近で二派に分かれていて、もう一方はここから200m 下流で中川の左岸へ合流している。なお、庄内領用水路は 江戸川の木津内樋管(杉戸町木津内)から取水している。 |
(6)庄内橋の付近(右岸下流から) 右岸:春日部市新川、左岸:庄和町上柳 写真(5)から700m下流。中川橋(国道16号春日部野田バイパス)の 500m上流に架かるのが庄内橋(埼玉広域農道)。この付近だけは 堤防間の幅が広くなっていて、右岸には僅かながら河川敷がある。 写真の左端に見えるのは幸松排水機場の樋管。 庄内橋の直上流に架かるのが上柳水管橋(埼玉県企業局)。 |