新川用水(騎西領用水) (その3) その1)(その2

 撮影地:埼玉県久喜市

 新川橋の付近
(1)新川橋の付近(下流から)
 右岸:久喜市下清久(しもきよく)、左岸:久喜市上早見
 この新川橋は県道146号線に架かる。新川用水には
 新川橋という名の橋が非常に多い。ここから150m上流の
 右岸には諏訪神社(下清久村の村社)が隣接しているが、
 その境内には天保十三年(1842)建立の
石橋供養塔
 ある。諏訪橋(新川用水に架けられていた石橋)に関する
 ものだろう。新川用水の周辺には諏訪神社が割合と多いが
 珍しいのは鷲宮町中妻と久喜市上早見に立地する千勝神社
 (ちかつ)だ(注1)。八幡太郎源義家にまつわる伝説がある。
 諏訪神社の上流では、左岸から久喜用水が分水している。
 なお、上清久の八幡神社には
2基の道祖神が祀られている。
   金勝寺の付近
  (2)金勝寺の付近(上流から)
   左岸:久喜市上早見、右岸:久喜市江面(えづら)
   写真(1)から900m下流。細かく蛇行しながらも、概ね南東へ
   向かって流れて来た新川用水だが、下清久と上早見に
   達した辺りから、流路は西へ大きく蛇行し、下清久と上早見の
   境界に沿って流れる。そして金勝寺の付近で蛇行は止む。
   その様子が武蔵国郡村誌の上早見村(12巻、p.147)には
   ”弧形の如く北西南の三方を撓流して江面村下早見村の両界に
   至る”と記述されている。ここから200m下流では、新川用水は
   県道3号さいたま栗橋線を横断する(新新川橋)。新川用水の
   かんがい悪水は主に、右岸側が磯沼落、左岸側が
仏供田落
   集められ、最終的には備前前堀川へと排水される。

 青柳調節堰の付近
(3)青柳調節堰の付近(上流から)
 左岸:久喜市下早見、右岸:久喜市北青柳
 写真(2)から2Km下流。ここまで新川用水は新興住宅地の
 中を縫うように流れて来る。ここでは江面第一小学校の
 敷地内を流れる。青柳調節堰は転倒ゲート(幅2.3m、
 高さ1.3m)1門装備。右岸上流の青柳圦へ分水する。
 大正4年(1915)には新川堰という名称で、石造りで改築
 された。その設計図が残る(埼玉県行政文書
 大659-22)
 なお、県道87号上尾久喜線の付近で、水と緑の
 ふれあいロードは終わってしまう。

   
 JR東北本線を横断
  (4)JR東北本線を横断(下流から)
   右岸:久喜市北青柳、左岸:久喜市下早見
   写真(3)から800m下流。新川用水はJR東北本線の下を横断する。
   横断方法は橋梁なのだが、その形式が開渠(小さめの橋)なので
   橋があるとは気づきにくい。その
新川用水橋梁は上り線・下り線共に
   橋台が煉瓦造りである。ここから200m北では東北本線は
   仏供田落を跨いでいるが、その開渠も橋台が煉瓦造である。
   この付近には、このような小規模な煉瓦造橋梁が数多く残っている。
   埼玉県で鉄道構造物に煉瓦が使われたのは、筆者が
   把握している限りでは、大正時代初期までである。

 備前前堀川と並走
(5)備前前堀川と並走(上流から)
 左岸:久喜市下早見、右岸:久喜市北青柳
 写真(4)から600m下流。もう新川用水には分水施設はなく、
 余水を流すための水路(排水専用)である。備前前堀川の
 左岸に並行して流れる。旧岩槻道が備前前堀川と
 新川用水を跨いでいるが、両方に古い橋が架かっている。
 備前前堀川の
皆代橋は、堀切橋(忍川、埼玉県行田市、
 昭和8年竣工)に酷似したデザインである。

   
新川用水の終点
  (6)新川用水の終点(上流から)
   左岸:久喜市下早見、右岸:久喜市太田袋
   写真(5)から800m下流。新川用水の最末流は宮代町和戸との
   境界で、備前前堀川へ放流されている。水路幅は2.2mと
   小さくなっている。終点付近の流路は近年に改修されたようであり、
   以前は太田袋と北青柳との境界を流れていたようである(注2)
   なお、写真の右端は備前前堀川に設けられた万年堰。
   
旧堰(明治35年竣功、煉瓦造)の遺構が残っている。

(注1)鷲宮町中妻の千勝神社は旧中妻村の村社。
 大己貴命と味耜高彦根命(あじすき)が祀られている。
 高彦根命は出雲系の神であり、八幡神社(行田市行田、境内社の目の神社)、
 月輪神社(比企郡滑川町月輪)、高負彦根神社(比企郡吉見町田甲)、
 高根神社(大里郡江南町小江川)などにも祀られている。
 千勝神社の南側では、県道12号川越栗橋線が新川用水を跨いでいるが、
 そこに架かる千勝橋は、かつては石橋だった。武蔵国郡村誌(明治9年編纂)の
 埼玉郡中妻村(12巻、p.211)には、”千勝橋:村道に属し村の辰の方
  新川用水の下流に架す 長二間巾一間一尺 石造”とある。
 新川用水の流路からは北東へ700m離れているが、
 久喜市本町一丁目にも千勝神社がある。さらに、吉羽にも千勝神社がある。
 なお、青毛堀川の右岸に位置する北一丁目の太田神社には
 女体神社や香取神社と共に千勝神社が合祀されている。

(注2)武蔵国郡村誌の埼玉郡青柳村(12巻、p.169)によれば、
 太田袋村と青柳村の東南界は古新川用水とある。現在の江面落(備前堀川へ排水)の
 下流部は、古新川用水の流路跡だといえる。
 ”古新川用水:深五寸巾五尺 村の東少南の方 太田袋下早見二村の界より起り
 西北に長五町三十間にして更らに深三尺巾一間三尺となり
 直に備前堀に入る長五町四十間 然れども本村にては灌漑の用をなさず”と記されている。


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