会の川のレトロな橋 (その3)  (  (3)   ) [会の川の橋一覧

 撮影地:会の川、埼玉県羽生市(はにゅう)、加須市(かぞ)

 弁天橋

 弁天橋 (べんてん:上流から撮影)
 場所:羽生市砂山〜加須市串作  建設:昭和10年(1935)前後
 形式:鉄筋コンクリート桁橋(1スパン)、斜橋  →
弁天橋の詳細
    長さ 7.5m、幅 3.5m、欄干高 0.5m、親柱高m


 花見橋(県道32号鴻巣-羽生線)の下流500mにあるのが弁天橋。
 橋名は橋詰に弁才天が祀られていたことに由来するのだという。
 
その弁財天は現在は、砂山地区の愛宕神社に祀られている。
 弁天橋という名の橋は、
新・槐堀川(さいかち、羽生市三田ケ谷)、
 
中川(羽生市大沼)にもある。また南西3Kmには弁天門樋(旧忍川、
 行田市長野、1905年建設)という名の煉瓦造りの水門もある。
 弁天橋は現橋に架け替えられる前は、木製の桁の上に石を並べた、
 石橋だったという(注)。現橋の欄干は、杵風のデザインが施されている。

 弁天橋の下流には、昭和の初期までは広っ手と呼ばれ、
 
志多見溜井(しだみためい、農業用の貯水池)となっていたが、
 現在は取水堰が残るのみで、当時の面影はない。
 →参考文献:砂山・その周辺覚え書、関口啓助、1996
    御河渡橋 (ごかと:上流から撮影)
    場所:羽生市下川崎〜加須市志多見  建設:不明
    形式:鉄筋コンクリート桁橋(1スパン)
    長さ 7.7m、幅 3.5m、欄干高 0.5m、親柱高 0.6m

    御河渡橋は弁天橋の下流1.8Kmに位置する。
    北から南へ流れていた会の川は、この付近から
    東へ向かって流れ始める。すぐ下流の右岸には、
    総合レジャーランド[むさしの村]があり、周囲には
    志多見砂丘(会の川が形成した内陸河畔砂丘)と
    松林が広がる。

    御河渡橋は欄干、親柱、橋台は古いのだが、
    橋桁(T型)は新しい。非常に大きな持ち送りが特徴。
    1Km下流の国道122号に架かる神戸橋(ごうど)を、
    ゴカト橋(表記は不明)と呼んでいたこともあると
    いうから紛らわしい。武蔵国郡村誌によると、
    神戸橋は長さ2間(約3.6m)の石橋であった。
御河渡橋
 名称不明の橋  名称不明の橋 (上流から撮影)
 場所:羽生市神戸〜加須市馬内(もうち)  建設:不明
 形式:鉄筋コンクリート桁橋(1スパン)
    長さ 7.8m(歩測)、幅 2.5m、欄干高 0.3m、親柱高 0.35m

 加須西中学校の北側に架かる橋。
 西中の裏の橋などと呼ばれているが、正式名は不明。
 上述の河畔砂丘は、加須西中学校の敷地内にも残っている。
 砂丘の上には、アカマツの林が展開し、独特の景観を醸し出している。
 この橋の下流200mには諏訪堰が設けられ、右岸の諏訪用水へ分水する。
 また、諏訪堰の100m下流には、
会の川橋梁(東武鉄道・伊勢崎線、
 明治36年建設、会の川に架かる最も古い橋)がある。

 写真の橋は上流のあずま橋などに似たデザインであるが、
 建設されたのは、昭和10年以降のようである。
 加須西中学校の創立(昭和30年)後に通学用に
 建設されたものだろうか。

(注)弁天橋は、武蔵国郡村誌の串作村(12巻、p.327)に
 ”羽生道に属し 会の川の上流に架す 長九尺巾六尺 石造”と記されている。
 この記述が正しいならば、明治9年(1876)時点での弁天橋の長さは約2.7mである。
 会の川の川幅は昭和初期の河川改修によって、約5mも拡幅されたことになる。


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