利根川 (赤岩渡船場の付近)  [利根川のページ一覧

 左岸:群馬県邑楽郡千代田町、右岸:埼玉県大里郡妻沼町

 なかさと公園
なかさと公園  千代田町舞木
 利根川の左岸堤防(スーパー堤防?)に設けられた、
 多目的公園(広さは約500m×100m)。
 西邑楽水質浄化センターに隣接する。
 展望台からは、利根川の雄大な流れを堪能できる。
 なかさと公園から下流へ400mの堤防裾には、
 天明三年(1783)の浅間山の噴火に被災した人々を
 弔った、
水死者の供養塔が祀られている。
   グライダー練習場
  ↑グライダー練習場  妻沼町葛和田
   この付近から利根川の河床には礫の分布が少なくなり、
   砂が多くなる。河相は扇状地河川から移化帯河川に移行している。
   グライダー練習場は利根川の右岸側の河川敷に立地する、
   日本学生航空連盟の管理する長さ約1.5Kmの滑走路。
   この付近は高圧線などの障害物がないうえに、冬には
   赤城おろし(季節風)が吹き、フライトには格好の条件
   なのだという。利根川ではモーターパラグライダーも見られる。
   ウェイクボードやウインドサーフィンなどのマリンスポーツも盛んである。

赤岩の渡し
赤岩の渡し  千代田町赤岩(左岸上流から)
 埼玉県と群馬県を結ぶ県道83号熊谷・館林線の渡船。
 埼玉県側では葛和田(くずわだ)の渡しと呼んでいる。
 写真左上付近が
福川の利根川への合流地点。福川水門
 かすかに見える。利根川から福川へ洪水が流入するのを
 防ぐための施設である。なお、右岸の葛和田には
 明治時代まで葛和田河岸(注)があり、利根川には
 荷船が往来していた。現在も赤岩地区は往時の街並みの
 雰囲気が残っている。不思議なことに八幡神社には
 
大正時代の砲弾が奉納されている。

   
荻野吟子生誕の地
  ↑荻野吟子生誕の地(妻沼町指定文化財)  妻沼町俵瀬
   葛和田の渡しの下流700m、福川と利根川の合流地点付近にある。
   写真奥は利根川の右岸堤防。現在は福川には導流堤が
   設けられているが、利根川の河川改修以前は合流地点付近には
   堤防は設けられていなかった。荻野さんの生家はかつては
   堤外地に立地したことになる。
荻野吟子(1851-1913)は、
   開業医試験(1885年)による日本で最初の女医。荻野吟子の
   生家は地元の旧家だが、その長屋門は何故か対岸の
   赤岩不動尊に移築されている。

利根川の改修記念碑
利根川の改修記念碑  妻沼町葛和田(右岸堤防上)

 県道83号熊谷・館林線が利根川の右岸堤防に突き当たる地点に
 設けられている。左が堤防拡張碑、右が刀江改修碑。

 防拡張碑:昭和39年(1964)3月建立
 昭和35年12月から昭和38年10月にかけておこなわれた
 妻沼町葛和田周辺の堤防拡張工事を記念したもの。
 工事内容は治水のための約5Kmに及ぶ引き堤だったようだ。
 利根導水路建設事業によって、妻沼町の下流には
 利根大堰が設けられている。

 刀江改修碑:大正三年(1914)三月建立
 撰文は大里郡長
 島崎廣太郎。題字の刀江とは利根川のこと。
 明治42年に着手した利根川第3期改修工事の記念碑。
 碑文では妻沼町付近の土地の買収と家屋の移転に触れている。

 なお、県道83号線には、ここから300m南西の天王店交差点に
 
大里郡秦村の道路元標(大正期に建立)が残っている。

(注)江戸時代には年貢の積み出しとして栄えた葛和田河岸だが、
 明治時代初期でもかなりの規模があったようだ。明治9年に
 編纂された武蔵国郡村誌の幡羅郡葛和田村(10巻、p.290)には
 日本形帆走船八艘(百石から百五石まで)が記載されている。
 百石積みとは米俵が250俵も積める大型船であり、
 帆船とあるから形式はおそらく高瀬舟であろう。

 妻沼町葛和田の大龍寺は、葛和田河岸へ通じる街道(現在は県道83号線)の
 脇に位置するが、境内の不動堂には
道標(道しるべ)が刻まれた石仏が
 3体もある。おそらく街道に建っていた物が、ここへ集められたのだろう。
 それらには行き先として、あ可い王(赤岩)やわ多し者”(渡し場)が
 刻まれている。


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