馬見塚橋 (まみつか)
場所:星川、左岸:埼玉県北埼玉郡南河原村馬見塚、右岸:行田市下池守
形式:コンクリート桁橋(3スパン) 長さ23.2m(歩測)、幅3.6m 建設:昭和10年(1935)3月
左岸側の馬見塚地区(注)の名を冠した橋。親柱の銘板には、変体仮名で”まみつ可はし”と記されている。
馬見塚橋は古い歴史を持つ橋だが、武蔵国郡村誌(明治8年の調査を基に編纂)にはその名がない。
同書の埼玉郡馬見塚村(13巻、p.289)に記された星川土橋が、おそらく馬見塚橋の前身だと思われる。
〜 行田道に属し星川の中程に架す長さ12間(21.6m)、幅1間4尺(3.0m)
妻沼及利根川通諸岸より行田町に至る経路なり 〜
なお、馬見塚橋の左岸橋詰に残る文化四年(1807)建立の馬頭観音は道標を兼ね、
正面に行田道、左側面に、くつわだ、めぬま道、右面に下中条、かわまたと刻まれている。
くつわだ(葛和田)、下中条、かわまた(川俣)とは利根川にあった河岸場なので、郡村誌の記述と一致する。
追補:馬見塚橋は土木学会の[日本の近代土木遺産]に選定された。
→日本の近代土木遺産のオンライン改訂版、書籍版は日本の近代土木遺産(土木学会、丸善、2005)。
←馬見塚橋(上流から) 馬見塚橋は古くからある橋なので、左岸の橋詰には 文化4年と安政5年建立の馬頭観音がまつられている。 馬頭観音は道標も兼ねていることから、この路線は往来の 多い街道であったと思われる。現在、馬見塚橋の交通量は それほど多くないようだが、橋の老朽化が激しいのだろうか、 標識による2.0tの重量制限がおこなわれている。 本橋は大正末期から昭和初期にかけて行われた、 元荒川支派川の改修事業によって建設されたと思われる。 左岸側の親柱には、上星川筋南河原村、 右岸側の親柱には、上星川筋星宮村の銘板が埋め込まれている。 親柱は斎条堰や玉野用水取入樋管(共に元荒川支派川の 改修事業によって建設)と同じで、下端が張り出した形式。 星川は用排水兼用の河川であり、下流部は見沼代用水の 送水路としても使われている。見沼代用水との 共用区間(菖蒲町の十六間堰まで)は上星川と呼ばれる。 |
↑馬見塚橋から見た星川(上流から) この付近の河川敷には、絶滅危惧種であるキタミソウが 自生しているそうだ。付近は川幅も広くゆったりしていて、 左岸下流には農協のレトロな倉庫(石造り)も見える。 馬見塚橋の欄干は、吊り橋をイメージしてデザインされたと 思われる。高さが0.4〜0.8mと低く、開口部がまったく ないのが特徴。ただし表現主義的な装飾が施されていて、 欄干の側面に渦巻き状、中柱の側面に縞状の模様あり。 |
↑桁と橋脚 欄干、親柱、橋台は建設当時のままだと思われるが、 桁と橋脚は改修されている。現在の形式は3径間連続桁で、 桁はT形ばり(3主桁)。建設当初からこの形式だったかは不明。 なお、馬見塚橋は元荒川支派川の改修事業によって 建設された橋梁としては、欄干に開口部がない異色な存在である。 |
(注)馬見塚という変わった地名は、新編武蔵風土記稿の11巻、p.66によれば、
その昔、村の東方に御堂塚と呼ばれる塚(古墳だろうか)があり、
馬市が開かれると、その塚の上に登り、そこから馬の良し悪しを
品定めしたことに由来するのだという。