星川 (その2) (その1)(その3) [星川のページ一覧]
撮影地:埼玉県北埼玉郡南河原村、行田市
上星川の区間では、総合治水対策特定河川事業が進められている。
灌漑と治水の両面から河川改修がなされ、河道の拡幅や築堤を優先するようである。
上星川に数多く残る古い土木構造物は、この事業で撤去されてしまうのだろうか。
(注)本ページの画像は、Nikon COOLPIX 995 (334万画素)で撮影しました。
↑起点から3Km 青木堀の合流(下流から) 左岸:南河原村江袋、右岸:行田市下池守 星川は南河原村と行田市の境界を流れる。 左岸には南河原村の主要排水路である青木堀が 合流する。写真の右端が青木堀(北河原用水や 玉井堰用水のかんがい流末が流れ込んでいる)。 星川は老朽化した河川なので、蛇行が激しいうえに、 河床勾配が緩やかなので、河床には土砂が大量に 堆積している。そのため、意外に底が浅い。 |
↑起点から3.5Km 馬見塚橋の付近(上流から) 左岸:南河原村馬見塚(まみつか)、右岸:行田市下池守 馬見塚橋は昭和10年に建設されたコンクリート桁橋。 欄干は独特な形状で、側面には不可思議な装飾がなされている。 馬見塚橋の左岸下流には農協の石造り倉庫も残っている。 この付近の河川敷には、キタミソウが自生しているそうだ。 キタミソウは、環境庁のレッド・データブックでは、 絶滅危惧TA類の希少な植物。北海道の北見地方で 発見されたので、北見草と呼ばれるようになった。 |
↑起点から4.1Km 酒巻導水路の合流(下流から) 左岸:南河原村犬塚、右岸:行田市和田 左岸に酒巻導水路(福川から取水する農業用水路)が 合流する。酒巻導水路の直下流では江川落(行田市と 南河原村の境界を流れる農業排水路)が合流している。 この上流までは星川には、主に荒川水系の 水が流れていたが、ここでは利根川水系の水が 注入される。下流の斎条堰までのわずか600mの 区間だが、星川は酒巻導水路と兼用されている。 |
↑起点から4.7Km 斎条堰の付近(上流から) 斎条堰の上流側は星川の川幅は非常に広くなっている。 現在の堰(農業用水の取水堰)は元荒川支派川改修事業によって、 昭和7年に建設された。新編武蔵風土記稿(江戸時代末期の 編纂)にも記述されている歴史の古い堰である(注)。 現在は左岸の斎条用水、右岸の酒巻導水路へ分水している。 なお、この付近にもキタミソウが自生するそうである。 葛西用水(越谷市)もそうだが、キタミソウは どうも農業用水路がお気に入りなようだ。 |
↑大和橋の付近 (上流から) 行田市和田 大和橋は斎条堰に併設された県道128号線の道路橋。 老朽化したコンクリートの桁橋だが、よく見ると欄干や 親柱にはアールデコ調の過剰ともいえる装飾が 施されている。元荒川支派川改修事業で建設された 構造物は、どれもみな、レトロモダンで秀逸な デザインが特徴である。 |
↑起点から5.7Km 白幡橋の付近(上流から) 行田市斎条 斎条団地の東側に架けられたクラシックな橋が白幡橋 (昭和初期の建設)。橋面と橋脚はコンクリート製だが、 桁は木製(丸太)である。欄干はなく地覆(高さ20cm)が 設けられている。今は車輌の通行は禁止されている。 この付近から星川の両岸には自然堤防が顕著となる。 下流の白川戸橋の左岸には明和六年(1769)の水神が祀られている。 |
(注)新編武蔵風土記稿の埼玉郡斎條村(11巻、p.67)に、
”斎條堰:星川にあり、此川に星川の水を溜置き、傍に二箇の圦樋を設けて、
此水を引入、村名にて一條の流をなし、当村及び下流十三ヶ村組合の用水となれり、
是を斎條堰用水と称す、圦樋の大さ共に長八間、内法五尺四方あり”とある。
文中の圦樋とは樋管(水路トンネルの一種)のこと。→水門と樋門・樋管の違い
星川の堤防の中を横断しているので、長さは8間(14.4m)もある。
内法五尺四方とは、通水断面が1.5mの正方形だったことを示している。
江戸時代に埼玉県に建設された圦樋は、ほとんどが木製だった。
(補足)現在の行田市斎条、和田、谷郷、白川戸(一部)地区は、
かつては北埼玉郡星河村(ほしかわ)であった。
文字通り、村の中央に星川が流れる村だった。
星河村は町村合併により明治22年(1889)に誕生したが、
その後、昭和12年(1937)には忍町と合併した。
なお、紛らわしいことに星河村の上流に位置していたのは、
北埼玉郡星宮村である。星宮村は現在の熊谷市池上、下川上、
行田市上池守、下池守、中里、小敷田、皿尾地区であった。