賀美橋 (かみはし)

 所在地:旧・元小山川、左岸:埼玉県本庄市若泉二丁目、右岸:本庄市中央三丁目
 形式:RC桁橋(1スパン)、長さ 6.2m、幅 8.6m  建設年:昭和元年(1926)?

 (注)本ページの画像は、Nikon COOLPIX 995 (334万画素)で撮影しました。

 賀美橋
↑賀美橋(右岸から)
 石尊坂と呼ばれる通りに架かる。欄干は
旭橋(東川、埼玉県
 所沢市御幸町、1930年)に酷似したデザインである。
 でも親柱は賀美橋の方が豪華だ(笑)。
 建設年は不明であるが、現橋の工事開始直前と
 思われる写真(大正13or15年に撮影)が存在するので、
 竣工年は、昭和1〜2年であろうか。→注2
 床版は改修されているようで、形式がスラブになっている。
 右岸下流には袖柱があった形跡が残っている。
  賀美橋の親柱
 ↑賀美橋の親柱
  52cm角で、高さは2.2m。
  表面には砂地風の化粧(25mm厚)が施されている。
  親柱の上には日本家屋風の飾りが2段に
  置かれている。以前は最上段のまた上に
  橋灯まで付いていたので、絶句である。→注1
  最下段の日本家屋と柱頭の間には
  白いタイルが貼られ、その下には蛇腹
  (迫り出し)が設けられている。
  銘板は新しいものに替えられている。

  橋の名は、かつての郡名、賀美郡に由来するのだろうか。
  賀美郡は明治29年(1896)に児玉郡へ編入された。
  本庄市の大半は児玉郡であったが、市域の西北に
  位置する児玉郡旭村(現在の本庄市小島、沼和田、
  下野堂地区など)は賀美郡(現在の上里町と神川町)に
  接していた。不思議なことに、本庄宿に隣接していた、
  旧児玉郡小島村は往古には賀美郡に属していた。→注3
  なお、大正末期に設置された児玉郡旭村、
  
児玉郡賀美村の道路元標は今も残っている。

  欄干の装飾

 ↑欄干の装飾
  欄干の高さは92cm。開口部の形状は、ほぼ半円で、
  直径は52cm。白いタイルはクサビ形である。
  中柱風の意匠も施されている。

(注1)写真集 明治・大正・昭和 本庄、図書刊行会、1980、p.70

(注2)同.p.69、改修前の賀美橋は石橋であったようだ。
  形式は桁橋で、清水橋上流の石橋(旧・元小山川)と良く似ている。

(注3)武蔵国郡誌の児玉郡小島村(8巻、p.37)に、
  ”本村古時賀美郡に属せり
 和名抄に賀美郡郷名に小島と載せたり”とある。

(注4)賀美橋ほど豪華な装飾は施されていないが、同じデザインの橋は
  近隣の埼玉県熊谷市にも存在する。例えば、名称不明な橋(銘板紛失、柿沼堀〜旧中山道、
  熊谷市久保島〜新島)、旧末広橋(星川、熊谷市末広)など

追補:賀美橋は土木学会の[日本の近代土木遺産]に選定された。
 →日本の近代土木遺産のオンライン改訂版、書籍版は日本の近代土木遺産(土木学会、丸善、2005)。


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