寺坂橋 (その1) (その2

 
場所:旧・元小山川、埼玉県本庄市中央ニ丁目
 形式:石造りのアーチ橋(1スパン、長さ7.6m、幅3.3m、内空高1.9m:筆者の計測) 明治22年(1889)4月竣工

 (注)本ページの画像は、Nikon COOLPIX 995 (334万画素)で撮影しました。

 寺坂橋  ←寺坂橋(下流から)
 上の道路は昔の伊勢崎道。中仙道への迂回路として重要な街道だったそうだ。
 寺坂橋の左岸橋詰には、それを偲ばせる石仏群が祀られている。
 写真の右方向へ2Km進み、利根川の
坂東大橋を渡ると、対岸は群馬県伊勢崎市。
 寺坂橋は関東地方では珍しい石橋(石造りのアーチ橋)である。
 埼玉県の近代道路橋としては、現存最古だと思われる(注)
 埼玉県では各地に
石橋供養塔(約300基)が現存することから、
 江戸時代から明治期にかけて、数千基もの石橋(形式は桁橋で小規模)が
 建設されたと推測できる。意外だが埼玉県は石橋王国だったようだ。

 明治期以前における埼玉県の石造りアーチ橋の架橋実績は、はっきりしない。
 記録に残るものでは、川越市の赤間川(現.
新河岸川)に架かっていた高沢橋は、
 日本橋(東京都)を彷彿とさせる2連アーチの石橋であった。
 (→川越のあゆみ、川越市、1992、p.113)
 高沢橋は明治43年の洪水で流出してしまったが、その後に
 架けかえられた橋は、鉄橋(ボーストリングトラス形式)だった。
 現橋はPC桁橋に改修されている。(→前掲書、p.117、118)
                    アーチ部(上流から)→

      アーチ径に対してライズ(迫高)が小さく、
      形式は四分円または扁平アーチだと思われる。
      面壁の石材の端部が面取りされているため、
      石橋全体がソフトな印象を醸し出している。
      輪石(アーチリング:アーチ部分を構成する石)の
      数は20個。面壁(輪石周辺の壁)は、
      布積みで組まれているが、石の組み方は
      稚拙な(不馴れな)印象を受ける。
      要石(アーチトップの石)の形状は微妙な、
      くさび形であり、輪石に比べて若干大きい。
      要石のサイズは40×35cm。
      なお、アーチ脚部の輪石は楯形(西洋風の
      
五角形の切り石:楯状迫石)である。
アーチ部(上流から)
 寺坂橋(下流から)  ←寺坂橋(下流から)
 橋名と竣工年が記された親柱(石造り)が現存する。
 竣工当時は欄干も石造りであったが、現在は鉄パイプで改修されている。
 → 土木学会附属土木図書館の戦前土木絵葉書ライブラリに当初の写真あり
 (
http://61.199.33.80/Image_DB/card/01_image_thum11.html
 寺坂橋の下流側は破損が激しいようで、あちこちに補修の跡が見られる。
 (玉石をコンクリートで固めて押し込んだ応急処置だが...)
 旧・元小山川の左岸側の護岸は、練り石積みでかなり古い。
 これは寺坂橋の竣工当時からのものだろうか。

 当初、寺坂橋は石造りではなく煉瓦造りで計画されたのではないだろうか?
 というのは、架橋地点は
日本煉瓦製造(明治20年創業)から西へ10Kmに
 位置し、
小山川の舟運も利用できたので、煉瓦の搬入は容易だったのである。
 明治20年には橋梁ではないが、この地点から北へ2Kmの利根川の右岸には、
 備前渠圦樋(埼玉県初の
煉瓦水門、アーチ型)も建設されていた。
 また、
高台橋(旧中山道、さいたま市)も明治21年の段階で、煉瓦アーチ橋として
 設計されていた経緯があるので、煉瓦アーチ橋の可能性は充分にあった。
 なお、JR高崎線(明治16年開通)が小山川を渡る付近には
煉瓦アーチ橋が架かっている。

(注)埼玉県には寺坂橋よりも古い道路橋が(筆者の知る限り)、少なくとも4基は現存している。
  古い順に列挙すると、やじま橋(春日部市、1737年)、名称不明(岩槻市、1760年)、
  高坂の石橋(東松山市、1864年)、雷電橋(東松山市、1889年)となる。
  これらはいずれも石橋で、構造形式は桁橋である。
  やじま橋は3スパンの桁橋で長さは約5.5m。ただし現役の橋ではなく、今は古隅田公園に
  モニュメントとして移築されている。
  名称不明橋は古隅田川左岸の排水路に架かる石橋で、長さ1.5mの石材を対岸に
  渡しただけの単純な構造であり、橋台はない。
  高坂の石橋は都幾川右岸の用水路に架かる現役の石橋だが、緑泥片岩の一枚岩を対岸に
  渡しただけの単純な造りであり、構造・規模からも近代的な道路橋とは言いがたい。
  雷電橋は角川(荒川水系の一級河川)に架かる桁橋で、寺坂橋よりも1ケ月早い明治22年3月の
  竣工である。ただし長さ2.1m、幅1.8mと小規模(しかも拡幅してある可能性が大)であり、
  構造的には古典的な石造りの桁橋である。寺坂橋と比べると近代的な要素は見られない。

  なお、やじま橋よりも古い橋の遺構(橋としては原形をとどめていない)も残っている。
  さかい橋(上尾市)は鴨川に架けられていた石橋だと思われるが、桁の石材が残っていて、
  桁の側面には享保六年(1721)竣工と刻まれている。同様な享保十年(1725)の桁が熊谷市柿沼にもある。
  また、厳島神社の神橋(北本市高尾八丁目)は宝暦六年(1756)竣工だが、
  3スパンの桁橋であり、長さが4.2mと割合規模が大きく、欄干が付けられている。
  神橋は竣工当時の形態が今も保存されている。

  江戸時代から明治時代にかけて、埼玉県には数多くの石橋が建設された。
  筆者が武蔵国郡村誌(全15巻)から、明治9年の時点で埼玉県域に存在していた石橋の数を
  集計してみたところ、その数は約1700基にも及ぶことがわかった。
  それらの平均規模は長さ2.7m、幅1.9mであり、寺坂橋よりも遥かに小さい。
  武蔵国郡村誌は地誌であり、橋梁の悉皆調査書ではないので、石橋の記載漏れはかなりの数に
  及び、実際の石橋の数は1700基よりもずっと多いと思われる。
  かつて埼玉県域には数千基以上もの石橋が存在したのだが、現在、埼玉県に残るのは、
  遺構4基と明治9年以降に建設されたものを含めても、わずかに27基である。→埼玉県の石橋一覧

追補)寺坂橋は土木学会の[日本の近代土木遺産]に選定された。
 →日本の近代土木遺産のオンライン改訂版、書籍版は日本の近代土木遺産(土木学会、丸善、2005)。


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