柴山伏越の周辺
↑三十六間樋管(吐口:白岡町柴山) 柴山伏越から北へ800mの地点に位置する伏越 (昭和初期の建設)。栢間堀(中落堀)が野通川、 県道5号、見沼代用水の下を横断している。 三十六間樋管の吐口は、隼人堀川(一級河川)の 起点である。隼人堀川は農業排水の河川で、地形的には 野通川や元荒川に排水されるのが自然だが、野通川、 見沼代用水、星川(ニ十六間樋管)と河川を3つも 伏越して、春日部市で大落古利根川に合流する。 |
↑柴山沼(白岡町柴山〜荒井新田) 柴山伏越から東へ800mにある幅140m、長さ900mの細長い沼。 沼の縁には樹木が生い茂り、野鳥も多いので、広い水面を 眺めながらの散策が楽しめる。柴山沼は元荒川の浸蝕作用に よって形成されたものだが、往時は76haもの広さがあったという。 (現在は12ha)。柴山沼は近世初頭から小規模な干拓が 進められていたが、享保年間(1730年頃)には井沢弥惣兵衛に よって本格的に干拓されている。柴山沼の東には、 皿沼があったのだが、今はその片鱗もない(注)。 |
↑旧・柴山伏越の欄干(蓮田市高虫) 柴山伏越から300m下流、見沼代用水の右岸、 緑のヘルシーロードの中に移築されている。 昭和30年頃まで使われた旧・柴山伏越のもの。 旧伏越には一般の橋と同じように、呑口と吐口に 欄干が設けられていた。 旧・伏越は昭和初期に 行なわれた元荒川改修事業で、それまでの煉瓦造り からコンクリートへと改築された(1929年竣工)。 |
↑元荒川(蓮田市上平野。右岸堤防の上から) 柴山伏越から500m下流の地点。左岸は白岡町、右岸は蓮田市。 左岸は自然堤防の上に民家が散在するが、右岸は後背湿地で 広大な水田が広がる。かつて、この付近には平野河岸と、 呼ばれる河岸場が設けられていた。左岸の堤防上には 河岸場の関係者が建立した弁財天と水神社が残っている。 なお、平野小学校の付近には、南埼玉郡平野村の道路元標も残っている。 春になると、元荒川の堤防は一面の菜の花で被い尽くされる。 |
(注)武蔵国郡村誌(明治9年の調査を基に編纂)の埼玉郡荒井新田村(12巻、p.251)には、
前沼:”東西四百三十五間 南北二百九十五間 周囲二千六百間 村の西にあり”
皿沼:”東西二百十間 南北二百三十五間 周囲千三百二十間 村の東にあり”
前沼とは柴山沼のことだが、明治初期には東西が約783m、南北が531mもあり、
現在の約4倍の面積があったことがわかる。
皿沼は柴山沼の約半分の面積があった大きな沼で、下大崎と荒井新田の
境界付近にあったようだ。現地には皿沼落という農業排水路があり、隼人堀川へ
排水している。皿沼落は皿沼干拓のさいの幹線排水路だったと思われる。
なお、柴山沼の東南端、皿沼の跡地付近には水神社が2基祀られている。
水神社とは水の神様であり、柴山沼や皿沼が氾濫しないように祈願したものだろう。
柴山沼の北側に位置する荒井新田地区が開発されたのは、
慶長12年(1607)である(白岡町史 通史編 上巻、p.365)。
元荒川(当時はまだ荒川)流域では、近世初期から新田開発が
実施されていたようである。なお、同時期には綾瀬川が
荒川から締め切られている。 → 備前堤