煉瓦造りの  (その4)_


 旧野本小学校の校門
↑旧野本小学校の校門(埼玉県東松山市下野本)
 地元の有志によって保存されたもの。野本小学校は
 明治20年(1887)に、この地に新校舎が建築されている。
 この校門はその時に建造されたものだろうか?
 すぐ近くの交差点脇には
野本村道路元標も残っている。
   煉瓦蔵
  ↑煉瓦蔵(埼玉県北埼玉郡北川辺町駒場)

   渡良瀬川の右岸堤防の脇に建てられている民家の蔵。
   北川辺町は利根川と渡良瀬川に囲まれた輪中の町。
   この煉瓦蔵は水屋(みずや)と呼ばれる形態である。
   水屋は水害常襲地に特有の建物で、床下浸水を防ぐために、
   非常に高く盛土した上に建てられている。

 民家の塀

 ←民家の塀(埼玉県加須市外野)
 加須未来館(利根川の右岸堤防上)の西側、
 とげぬき地蔵(享保年間に建立)の脇に位置する。
 この付近は利根川を越えて、北川辺町(埼玉県)、
 古河市(茨城県)へと通じる街道であったという。
 現在は利根川には
埼玉大橋が架かっているが、
 昭和40年代までは渡船に頼っていた。
 この塀のお宅は、かつて渡船業を営んでいたそうである。

 塀はイギリス積みで組まれている。
 使われている煉瓦は大正期以前の古いもので、
 平均実測寸法は、228×106×58mm。
 平の面には
機械成形の跡が確認できるのだが、
 なぜか形が歪なものが多い。
 
焼過煉瓦も混ぜられているのだが、
 配置が乱雑なのでポリクロミー(色彩的装飾)を
 意図したとは思えない。

 横田酒造の煉瓦塀


 横田酒造の煉瓦塀
 埼玉県行田市桜町二丁目

 桜町郵便局の道路を挟んで向かい側にある。
 建材は黒っぽい色の
焼過煉瓦、それも手抜き成形である。
 煉瓦の平均実測寸法は225
×105×55mmであり、
 現代の規格よりも小さい。これは大正期以前に
 製造された煉瓦である。行田市には明治40年(1907)に
 煉瓦工場が開設された記録が残っている(
武蔵煉瓦第一工場)。
 壁は
小口積みで組まれている。目地の厚さは均一であり、
 平均厚は約9mm、仕上げに漆喰が塗られているようだ。
 通用門の頂部は煉瓦小口の
3重巻き立てによるアーチ。
 曲率が小さいアーチを構築するために、くさび形の異形煉瓦が
 23枚使われている。なお、ここから西へ400m、忍川に
 架かる
忍川橋梁(秩父鉄道)に使われている煉瓦は
 赤煉瓦であり、主に大阪窯業の製品が使われている。
 忍川橋梁の竣工は、大正末期頃である。

 青柳スクールメイトの煉瓦塀



 青柳スクールメイトの煉瓦塀
 埼玉県行田市行田19
 十万石(ふくさや)の店舗から国道125号線を
 挟んで向かい側にある。ただし、国道には
 面してなく、路地の奥なので見つけにくい。
 塀は赤煉瓦を使ったイギリス積み。
 塀の奥には土蔵(足袋蔵)が見える。
 行田市の地場産業だった足袋製造。
 かつては青柳スクールメイトも製造業者だった。

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