会の川のレトロな橋 (その5) (1) (2) (3) (4) (5) (6) [会の川の橋一覧]
撮影地:会の川、埼玉県加須市(かぞ)
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新橋 (しんばし:上流から撮影) 場所:加須市大門町〜土手一丁目 建設:昭和9年(1934)12月、銘板あり 形式:鉄筋コンクリート桁橋(1スパン) 長さ 5.3m(歩測)、幅 5.7m、欄干高 0.8m、親柱高 1.1m この付近では、会の川は加須市の市街地を流れる。 川の両岸には民家が密集し、川沿いを散歩する人も多い。 多彩なデザインのレトロな橋が連なるので、散策は楽しい。 新橋の銘板には、変体仮名(音を漢字で当てたカナ)の、 草書体で、[志ん者し]と記されている。 親柱には人造石?で化粧が施されている。 新橋は形態だけを見れば、会の川で最も特異な橋である。 欄干は鉄製であり、橋桁には持ち送りがない。 建設当初から、この形なのかは不明。 |
徒歩橋 (かち:下流から撮影) 場所:加須市大門町〜土手一丁目 建設:昭和9年(1934)頃 形式:鉄筋コンクリート桁橋(1スパン) 長さ 6.5m(歩測)、幅 7.3m、欄干高 0.9m、親柱高 1.3m 羽生市の原野橋と同じデザインの橋。ただし、 徒歩橋の橋桁には、持ち送りは設けられていない。 親柱と欄干は人造石?で化粧が施されている。 橋の袂には徒歩橋の名の由来を記した説明板(加須市 教育委員会による)が建てられている。それによると、 この橋は江戸時代には、龍蔵寺(北300mに位置する)の 参道の起点に位置していたので、馬に乗ったままの 無礼な通行は禁じられていたという。つまり、徒歩でしか 渡れない橋だったのだ。橋詰には下乗の札が立てられて いたのだろう。なお、幅員が狭い橋で、馬や荷車が 物理的に渡れない場合にも、徒歩橋と命名されることが ある。→補足 |
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羽根橋 (上流から撮影) 場所:加須市大門町〜中央一丁目 建設:昭和4年(1929)4月、竣工記念碑あり 形式:鉄筋コンクリート桁橋(2スパン、連続桁)、親柱なし 長さ 7.8m、幅 2.1m、欄干高(中央0.7m、端0.4m) 昭和4年に寄付金(町民、加須町役場、加須信用組合、等)に よって建設された橋。会の川改修事業で建設された橋ではない。 曲線を生かしたシンプルな欄干、バランスのとれた2スパンの デザインは、会の川の橋の中でも白眉だ。最初に見た時は、 RCランガー橋かと思った(笑)。加須市には羽根橋と同じデザインの 橋が新・槐堀川(さいかち、加須市下樋遣川(ひやりかわ))にも あるが、竣工は羽根橋の方が古い。 羽根橋の周辺には柳の木が植えられ、会の川の景観は良好だ。 写真は、下校途中の県立不動岡高校の生徒さん。 不動岡高校は埼玉県で最も歴史の古い高校だという(明治19年創立)。 スターダスト・レビューのメンバーの大半は、この高校のOB。 |
(補足)武蔵国郡村誌の礼羽村(らいは)(12巻、p.385)に記された歩行橋は
徒歩橋のことだと思われる。”村の北方 会の川の下流に架す 長三間巾一間 木製”とあり、
明治9年の時点でも橋の幅は1.8mしかない。
これでは馬に乗ったままでの通行は困難だっただろう。
一般的には、馬を持てないような、身分の低い侍のことを徒歩侍と呼んだ。
例えば、御徒町駅(JR山手線)の御徒町とは、徒歩侍が
多く住んでいた地区だったことに由来する。