神田川の橋  (その1) (その2) (その3) (その4) (その5)

 撮影地:神田川、JR浅草橋駅の周辺から神田川の終点まで

 左衛門橋   ←左衛門橋 (さえもんばし:右岸上流から)
  左岸:千代田区東神田3丁目
  右岸:千代田区東神田2丁目
  鋼アーチ橋(2ヒンジ)。長さ35m、幅15m 建設:昭和5年(1930)

  浅草橋駅の南100mに位置する。
  千代田区(橋の上流側)、台東区(橋の下流左岸側)、
  中央区(橋の下流右岸側)の境界に架かる橋。
  左衛門橋の名は、かつてこの付近に左衛門河岸があったことによる。

  この橋も震災復興事業によるもの。
  さらに平成12年には、大規模な改修がおこなわれている。
  (橋詰に広場を設置、橋面の改修、欄干の変更、親柱の改築)
  石造り風の親柱の上には、橋灯が設置されている。
  右岸下流の欄干下には、[2000年2月千代田区]の銘板が付けられている。

  

         浅草橋 (あさくさばし:右岸上流から)→
     左岸:台東区浅草橋1丁目
     右岸:中央区日本橋馬喰町2丁目
鋼アーチ橋(2ヒンジ)。長さ35.8m、幅33m 建設:昭和5年

   左衛門橋の下流200m位置する国道6号の道路橋。
   浅草橋は、かつては浅草寺(北2Kmに位置する)の
   門前橋であった。交通の要所であったので、過去には
   その当時の最新技術を駆使した橋梁が架けられた。
   明治7年(1874)には石造のアーチ橋、
   明治17年(1884)にはボウストリングトラス(注1)、
   明治31年には鋼2ヒンジアーチ(注2)が架けらた。
   なお、明治7年の石橋を架けたのは、種山石工の
   
橋本勘五郎(通潤橋や霊台橋を架橋)である。
注1:日本の橋、日本橋梁建設協会、朝倉書店、1994、p.41
注2:   〃、 p.49

浅草橋
 柳橋   ←柳橋 (やなぎばし:左岸から)  中央区民有形文化財
  左岸:台東区柳橋1丁目
  右岸:中央区東日本橋2丁目
  鋼タイドアーチ橋(下路)。長さ38m、幅11m 建設:昭和4年(1929)

  柳橋は神田川の第一橋梁(最下流の橋)。
  神田川は、この地点から50m下流で
隅田川に合流する。
  柳橋の名は、かつて土手の両岸に柳の木が植えられていたことに
  由来するようだが、現在、この付近の護岸は非常に高く、
  絶壁のようであり、当時の面影はない。しかし、周辺には船宿が多く、
  屋形船も繋留されていて、江戸情緒は残っている。

  明治20年(1887)に架けられた鉄橋(下路ワーレントラス橋)は、
  関東大震災で落橋している。現橋は震災復興事業による橋である。
  右岸には復興記念碑、台東区と中央区による
2つの説明板が設けられている。
  平成3年には中央区の事業として、親柱の復元や修景がおこなわれた。
  欄干には、かつての花街にちなんだ、かんざしが付けられている。

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