横見川 (その2) (その1)
撮影地:埼玉県比企郡吉見町
(1)横見神社の付近(下流から) 吉見町久保田 県道27号東松山鴻巣線の100m南側に位置するのが 再び、横見神社(吉見町指定文化財)(注)。写真の左が その社叢林である。横見川は神社の東、上赤城橋の 脇で流路を直角に曲げる。水路の断面が長方形から 台形へと変わったために川幅は約8mと広くなっている。 上流左岸には寛政二年(1790)の道祖神が祀られている。 |
(2)久保田堰(下流から) 吉見町久保田 (1)から800m下流。久保田地区と江綱地区の境界付近、 県道33号東松山桶川線の北側に位置する。久保田堰は 農業用水取水の堰。左岸へ取水している。堰の上流右岸には 約100mに渡って竹林、左岸にはイチョウ、クヌギ、マツの 小規模な並木が設けられている。なお、県道33号の東側、 農協の付近には、南吉見村の道路元標が残っている。 |
(3)横見川と県道345号線(下流から) 吉見町江綱 (2)から500m下流。わずかな区間だが、横見川は 県道345号線に沿って流れる。県道の路線が非常に 高い所に位置しているのは、旧堤防の跡を改修したため。 ここから900m東、前河内地区との境界付近に鎮座する、 元巣神社は旧社名が江綱神社だった。戦時中に元巣は 戦局にふさわしくないとの理由から改称させられた。 |
(4)五反田堰と横見排水機場(上流から) 吉見町江綱 (3)から300m下流。写真の奥は市野川の左岸堤防。 市野川には慈雲寺橋が架かっている。写真の左は 五反田堰、右が横見排水機場。機場の上屋の 屋根は瓦?であり、まるで日本家屋みたいだ(^^;) 五反田堰の上流へは市野川用水が合流している。 五反田堰の脇には、旧堰の遺構の煉瓦が散乱している。 |
(5)終点付近(下流から) 吉見町江綱 (4)から700m下流。市野川の左岸堤防上から撮影。 横見川の左岸堤防は吉見領大囲堤の一部であった。 江戸時代、市野川の洪水から村を守るために築かれた、 旧堤防である。横見川の左岸堤防には安永八年(1779)、 文久四年(1864)建立の2体の馬頭尊が祀られている。 |
(6)横見川の終点(下流から) 吉見町江綱 慈雲寺橋(市野川)から下流へ300m。 横見川は渡戸樋管を経由して、市野川の左岸へ落ちる。 下流100mには市野川水管橋が架かっている。 対岸では新江川(準用河川)が市野川へ合流している。 慈雲寺橋からは水管橋と樋管が織り成す壮大な景観が展望できる。 |
(注)新編武蔵風土記稿によれば、久保田の横見神社は建長年間(1249-56)の
洪水のさいに、御所の横見神社が水災に遭い、この地へ漂着したので
祀ったものだという。愛宕神社だった地へ遷座させ、名称も飯玉明神社とし、
周辺8村の鎮守となった。