落合門樋の説明板
(注1)逆さ門樋というのは、一般的な呼称ではない。逆除(さかよけ)や逆圦(さかいり)が正しい。 門樋の設置目的は、洪水時に本川からの逆流によって支川の流域が 増水(湛水)するのを防ぐことなので、この説明板に記されている落合門樋の 機能は、まさに門樋であって、わざわざ”逆さ門樋”とは呼ばない。 ちなみに、堰板(ゲート)が装備された取水堰は堰板で河川や水路をせき止めて 水位を高くして取水をしているが、そのせき上げのことを逆水とよぶこともある。 水理学の用語だと背水(はいすい、BackWater)である。 なお、彦八郎用水が完成する前は、加須市阿良川、平永地区の 用水不足を解消するために、落合門樋のゲートを常時は 閉めたままにして、排水路からの逆水による取水が行われることもあった。 (注2)落合門樋は騎西町唯一の煉瓦造りの建造物ではない。 地下に埋設されてはいるが、三間樋が現存する。 三間樋とは騎西領用水(新川用水)の元圦であり、明治35年(1902)に 煉瓦造りで改築された。騎西領用水は見沼代用水(星川)の左岸から取水している。 (注3)行田市関根地内にあった煉瓦造りの樋門とは、関根門樋のことである。 関根門樋は撤去されてしまったが、煉瓦造りの塔が現存する。 関根門樋は、落合門樋の前年(1902年)に、関根落(農業排水路)が 見沼代用水に合流する地点に建設された。 設置目的は落合門樋と同じで、見沼代用水から関根落しへの逆流の防止である。 現在、関根落しは排水先が変更されていて、関根伏越で見沼代用水の下を横断して、 最終的には野通川に合流するように改修されている。 なお、落合門樋と同時に建造された源兵衛門樋(星川左岸、行田市下須戸〜藤間)は、 落合門樋と同一のデザインであったと思われる。 (注4)見沼代用水からの逆流防止 見沼代用水の周辺には数多くの沼地が存在した。 このため、見沼代用水の路線は沼地を避けて、地形的に高い所が選ばれている。 また、見沼代用水(星川)の両岸には自然堤防が発達していて、周辺の 農地(後背湿地)との比高差は大きい。以上のことから、見沼代用水に 合流する排水路は、大雨のさいに見沼代用水の水位が高くなると、 排水が困難になる。それだけでなく、見沼代用水から洪水流が 逆流してくる可能性が非常に高かった。→本川から支川への洪水流入 行田市と騎西町の周辺には見沼代用水に合流する排水路が多いが、 これらには明治時代、見沼代用水からの逆流防止のために煉瓦造りの 頑丈な水門が設けられていた。洪水で水門が破壊されることも多かったからだ。 例えば、弥右衛門門樋(弥右衛門落、行田市、1903年、現存せず)、 源兵衛門樋(源兵衛落、行田市、1903年、一部残存)、 寺島門樋(旧長野落、行田市、1903年、現存せず)、 関根門樋(関根落、行田市、1902年、一部残存)などである。 これらの水門を設置することで、見沼代用水からの逆流は防げたが、 支川の排水不良は解決しなかった。そのため、昭和初期には支川の 流路変更が実施され、長野落と関根落は見沼代用水に排水するのは止めて、 野通川へと排水先が変更され、現在に至っている。 |
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