芭蕉の句碑 利根川沿線:(妻沼町、熊谷市) (本庄市、美里町)(深谷市)(行田市)(羽生市、加須市)(北葛飾郡)(大泉町、千代田町)
荒川流域:(秩父郡)(大里郡)(熊谷市、北足立郡)(入間郡)(比企郡)(小川町)
撮影地:埼玉県大里郡妻沼町、熊谷市
(1)妻沼町妻沼 妻沼聖天山 文化九年(1812)七月 稲妻や 闇のかた行 鵁の声 本殿と鐘楼の間に建つ細長い句碑。 30cm×15cmの角柱で、高さは172cm。 背面に、”むさしの國長井庄聖天宮に 建る芭蕉翁稻妻の句鐘”とあり、 碑文は太田蜀山人の筆による。 東都秋香庵・兆識を含む地元の五翁 角浪、可良久、五渡、五棲によって建立された。 |
(2)妻沼町妻沼 妻沼聖天山 大正十一年(1922) 物言へば 唇寒し 秋の風 鐘楼の西側、二十三夜塔の脇にある。損傷が激しく、 句がかろうじて読み取れる状態である。 左側面には建立年と共に西田聖池庵とある。 |
(3)妻沼町妻沼 妻沼聖天山 大正十二年(1923) 古池や かわずとびこむ 水の音 平和橋の東側、日露戦役凱旋記念碑の脇にある。 書は藤波數忠。句の下部に地元の俳人13名の号と句、 碑の裏には7名の号、聖池庵 西田氏建立とある。 |
(4)妻沼町妻沼 妻沼公民館 昭和五十四年(1979) むざんやな 甲の下の きりぎり 妻沼公民館は妻沼聖天山の北側に位置する。 理由は不明だが、句碑は公民館の敷地の奥の方にあり、 人目につかない。聖天山開創800年を記念して 斎藤別当実盛公顕彰句碑建設の会が建立した。 |
(5)妻沼町弥藤吾 観清寺 昭和十年(1935) 雪といふ 物かあるそ 今年竹 観清寺は旧福川の左岸に位置する。 句碑は本堂と鐘楼の間にある。 下部には地元の俳人の10句が 刻まれている。 高さ108cm、幅49cm |
(6)妻沼町妻沼 大我井神社 大正七年(1918) はるの夜は 桜に明けて しまいけり 鳥居と社務所の間にある、高さ85cm、幅60cmの小さな碑。 碑の裏には発願者 青蛙 西田平吉、5名の名前。 西田平吉は、聖天堂の[かわず]の句碑の建立者と 同一人物のようだ。 |
(7)妻沼町日向 長井神社 明治十九年(1886) 蝶鳥の 知らぬ花あり 秋の空 福川の右岸堤防から南へ150mの地点に鎮座するのが、 村社 長井神社(旧名は日向八幡神社)。神社の名前は 当時のこの付近の村名だった大里郡長井村に因むのだろう。 大正末期に設置された長井村の道路元標は今も残っている。 句碑の裏には建碑の経緯が長文で記されている。 |
(1)熊谷市下増田 観音寺 建立年不明 寺に寝て まこと顔なる 月見かな 福川を挟んで、妻沼町市ノ坪、飯塚と対峙するのが、 熊谷市下増田地区。観音寺は境橋(福川)から南へ 400mの地点にある。この句碑は自然石であり、 高さ98cm、幅43cm。句以外には文字は記されていない。 |
(2)熊谷市下川上 星宮公民館 寛政八年(1796)建立 物書いて 扇ひきさく 別れかな 願主 武州忍 下川上邑 可曲 星川の左岸に面した星宮公民館の敷地内にある。 高さ68cm、幅20cm、奥行18cm。ここから西へ100mの御嶽塚の 付近から移築したもの。刻字は4面で、左右の側面は道標。 左面:西 めぬま くまがやみち、右面:南 ぎようだ?みち ??かし。 |
(3)熊谷市上中条 常光院 平成五年(1993)建立 旅人と 我名よばれん 初しぐれ 平成五年が芭蕉の三百回忌となるのを 記念して、追善脇起の俳諧連歌となっている。 連句協会埼玉支部が常光院へ奉納したもの。 高さ105cm、幅246cm。 |
(補足)熊谷市に現存する芭蕉の句碑は、荒川流域にもある。 |
参考文献: 芭蕉句碑を歩く、小林甲子男、さきたま出版会、1983
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