古川落 (その1) (その2

 撮影地:埼玉県羽生市、加須市、行田市、北埼玉郡騎西町

 古川落は延長約3.6Kmの排水路。羽生市下新郷と加須市串作の境界付近を起点とし、
 行田市と加須市の境界を緩やかに蛇行しながら南へ向かって流れ、騎西町外田ケ谷で
 見沼代用水(星川)の左岸へ合流する。古川落の上流部は会の川(利根川の故道)の
 派川跡である。かつて会の川は羽生市下新郷、砂山と加須市串作の境界で3派に分流していた。
 現在は古川落は会の川とは繋がっていないが、かつての分岐点付近には往時を
 偲ばせる地形(氾濫原や微高地、旧堤防跡)が残っている。

 起点付近
(1)起点付近(下流から)
 右岸:羽生市下新郷、左岸:加須市串作
 白山神社の付近。右岸には県道32号鴻巣羽生線、
 左岸には会の川が位置する。県道の周辺は自然堤防の
 跡と思われる微高地である。古川落の周囲にはかつての
 利根川の氾濫原を偲ばせる地形だが、現在は大半が
 水田となっている。ここからさらに上流には、古川落の
 旧堤防跡と思われる地形も見られる(現在は農道と
 なっている)。

   国道125号線の横断付近
  (2)国道125号線の横断付近 (上流から)
   左岸:加須市串作、右岸:羽生市下新郷
   (1)から500m下流、国道を横断後は幅1.0mの柵渠となる。
   周囲の地形は微高地で、民家と畑地が混在している。
   ここから400m下流の右岸側にある久伊豆神社と薬師堂には
   
弁才天(文字塔)が祀られている。弁才天は水の神様である。
   左岸側の小字は川面であり、文字通り、古川に面した土地を指す。
   写真の奥の白い建物の付近では、
関根落からの派川が
   古川の右岸へ合流している(注)

 管渠となる区間
(3)管渠となる区間 (上流から)
 左岸:加須市串作、右岸:行田市真名板(まないた)
 写真(2)から1.2Km下流、諏訪神社の付近。
 ここまでは幅0.9m、深さ0.7mのフりュームであったが、
 ここから下流の約300mの区間は、RC製の蓋(半円)で
 覆われている。左岸の串作地区の字名は堤内である。
 この堤とは会の川や星川の洪水に対する村囲堤として、
 設けられていた
阿良川堤のことだろう。

   
天神社の付近
  (4)天神社の付近 (下流から)
   右岸:行田市真名板、左岸:加須市阿良川(あらかわ)
   写真(3)から900m下流。天神社の脇を流れる水路(分流は
   樋尻川となり、
南青毛堀川の水源である)が左岸に合流してから、
   古川落の川幅は約1.5mへ広がる。左岸には志多見土地改良区の
   農業揚水機場(1974年竣工)が設けられている。なお、天神社には
   
明治43年の洪水に関する記念碑があり、洪水で破堤した阿良川堤の
   復旧の顛末が記されている。また
弁才天と道祖神がそれぞれ2基ある。

 三国橋の付近


 (5)三国橋の付近 (下流から)
 右岸:行田市関根、左岸:騎西町外田ケ谷

 古川落の断面は台形へ、幅は2.5mへ広がる。
 行田市関根、騎西町外田ケ谷、加須市阿良川の
 境界付近に架かるのが三国橋。
 三国橋の上流左岸には道地圦樋(農業用水の取水口:
 騎西町方面へ取水)に関する石碑が2基建てられている。
 また、三国橋の下流右岸へは排水路が合流しているが、
 この排水路は東泉寺(行田市関根)に残る、
 
悪水路開鑿の碑に記された水路であろう。

(注)古川落は武蔵国郡村誌の埼玉郡真名板村(13巻、p.399)に
 以下のように記されている。”古川:深六寸巾四間
 村の申の方関根村界
 関根落堀より分流して 南方外田ケ谷村に至て星川に合す 長十八町十五間 悪水を流下す”
 悪水とは用水ではない水(雨水や農業排水)のこと。
 なお、武蔵国郡村誌は明治9年(1876)の調査を基に編纂されている。


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