倉松川 (その2) (その1)(その3)(その4) [倉松川のページ一覧]
撮影地:埼玉県幸手市、北葛飾郡杉戸町
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(2)吉野橋の付近 (下流から) 右岸:幸手市吉野、左岸:幸手市戸島一丁目 写真(1)から1.1Km下流。ここまで倉松川の右岸側には 中郷用水路(葛西用水)が並行して流れきた。中郷用水の かんがい悪水は倉松川へ落とされている。吉野橋(県道318号線)の 直下流では中郷用水路が、倉松川の下を上戸前伏越で 横断している(注1)。中郷用水路の路線は、自然堤防上に 設けられているので(渡良瀬川の旧流路の蛇行跡に沿って)、 倉松川と交差することになる。吉野橋の右岸下流に見える林は 白百合学園の自然観察園。なお、ここから北西へ400mの 三光院の敷地には、弘化五年(1848)と嘉永四年(1851)建立の 2基の石橋供養塔がある。それらは中郷用水路に 架けられていた石橋に関するものだろう。 |
(3)大島新田川への分流 (下流から) 幸手市戸島 写真(2)から400m下流。この付近は河川の接続関係が 複雑だ。右岸へ杉戸西排水機場からの都市排水(雨水)が 合流し、左岸からは大島新田川が分流している。 大島新田川は大島新田調節池への導水路である。 つまり、倉松川が増水した時には、洪水の一部が 大島新田川を経由して、大島新田調節池へ流される。 また、左岸には倉松川の洪水流の一部を安戸落へと 導水する樋門も設置されている。なお、この付近は昭和 30年(1955)まで北葛飾郡八代村だった。大正時代に 設置された八代村の道路元標が今も残っている。 |
(4)六軒道橋の付近(上流から) 左岸:杉戸町本島、右岸:杉戸町倉松 写真(3)から1.4Km下流。右岸へ大膳堀(農業排水路)が 樋門を経由して合流する。大膳堀は南側用水路(葛西用水)と 千石用水路の間を流れている。江戸時代から存在する、 古い落し(排水路)だ。大島新田が開発されるまでは 大膳堀の排水先は倉松沼だったと思われる。 倉松川には六軒道橋の上流に長八橋、下流に留八橋と 古風な人名を冠した橋が架かっている。 それらは大島新田の開発に関係した人々の名前であろうか。 |
(5)大島新田調節池の南側 (上流から) 左岸:杉戸町本島、右岸:杉戸町倉松 写真(4)から500m下流。倉松川は大島新田調節池の 南側に沿って流れる。大島新田調節池とは江戸時代に 沼地を干拓して開発した農地(大島新田)の一部を再び、 池へ戻したもの。周辺の宅地化が進行したために、 治水対策として、倉松川の洪水を貯留するためである。 写真の手前から奥に延びるのが、調節池への導流堤、 さらに奥が調節池から倉松川への排水樋門。 写真の右奥が倉松公園。公園の北東の佐左衛門地区の 小字は弁才天である。水防の要所なので、弁才天が 祀られていたことに由来する地名だろう。 |
(6)九右衛門橋の付近 (下流から) 右岸:杉戸町清地、左岸:杉戸町佐左衛門 写真(5)から900m下流。倉松川は大島新田調節池の 付近までは旧倉松沼の南端に沿い、東へ向かって流れて いるが(これがかつて南付廻堀と呼ばれた所以である)、 倉松公園の付近からは流れを南東へと変える。 倉松川の周囲には広大な水田地帯が展開する。 写真の奥では南側用水の支線が、倉松川の上を水管橋で 横断している。幸手領の悪水路(倉松川や安戸落)は 葛西用水の支線と頻繁に交差する。ここから500m北東では 中郷用水路が安戸落の下を伏越で横断している。 なお、この付近の左岸側は昭和30年まで北葛飾郡田宮村だった。 大正時代に設置された田宮村の道路元標が今も残っている。 |
(注1)この施設は昭和7年(1932)に上戸掛樋井として建設されたが、
倉松川(当時、この付近は大中落)の改修に伴い、昭和14年に伏越へと
改修されている。構造形式が掛樋井(水路橋)から伏越へ変更されたのは
倉松川に拡幅や築堤がなされたからだろうか。吉野橋の左岸に隣接する、
幸手領第二揚水機場の脇には、それら2つの竣工記念碑が建っている。
なお、現在の上戸前伏越は昭和14年竣工の伏越から二代目のもの。