石橋供養塔 (幸手市)_  埼玉県の橋供養碑


日私石橋供養十方以?  日私石橋供養十方以?
 埼玉県幸手市東一丁目、養福院墓地跡
 幸手橋(
倉松川)の右岸橋詰に
 位置する養福院の墓地跡にある。
 幸手橋は国道4号線の橋だが、
 ここから200m上流(西側)の志手橋は
 日光街道と日光御成道の追分に架かる橋だ。
 供養塔は高さ
35×幅19×厚さ13cm。
 宝永六年(1709)十二月建立。
 裏面には寛永七年四月十四日に
 四十七人が切腹したことへの菩提とあり、
 正面にも勇士為とある。
 どうやら、赤穂浪士の供養のために
 養福院の住職が石橋供養をおこなったようである。
 どういう因果か不明だが...

石橋供養塔
 埼玉県幸手市吉野559付近、三光院
 中郷用水路(
葛西用水路の支線)の右岸に
 位置する三光院には、2基の石橋供養塔が
 並んで祀られている。

 左:石橋弐所供養塔
 高さ
106×幅33×厚さ22cm。
 嘉永元年(1848)二月建立。
 この供養塔は道標を兼ねていて、正面には、たかの?、すぎと、
 左側面にさつて、右側面にはせきやど、ほうしはなと記されている。
 実際の方角とは異なっているので、この塔はどこか別の場所から
 移築されたと推定される。
 また左側面には惣村中とあり、世話人が4名、右側面には
 吉野村
 願主 中山久蔵、世話人が3名が記されている。
 裏面には粕壁横町
 石工 仙蔵とある。

 右:石橋二所供養塔
 高さ
101×幅34×厚さ21cm。
 嘉永四年(1851)建立?。

 左側面に発起人の名前、右側面には
 惣村中、世話人が1名が記されている。
 裏面には粕壁中宿
 石工 文?とある。

(補足)幸手市に存在した石橋
 武蔵国郡村誌の14、15巻(葛飾郡)から、現在の幸手市の区域に存在した石橋を集計したのが、
 下記の表である。郡村誌は明治9年の調査を基に編纂された。標目数が多いうえに記述も詳細で、
 極めて優れた書である。しかし、あくまでも村誌であり橋梁の悉皆調査書ではない。
 実際に存在した石橋の数は、下記の集計(合計17基)よりも、もっと多かったはずである。

村名 橋名 記述内容 ページ
天神島村 轡瀬橋 宝珠花道に属し村の北方 北側用水に架す 長一間巾一間 278
吉野村 店前橋 杉戸道に属し村の中央 中郷用水の下流に架す 長二間巾九尺 281
三光院橋 野道に属し村の中央 中郷用水の下流に架す 長二間巾一間  
覚堂坊橋 野道に属し村の中央 中郷用水の下流に架す 長二間巾四尺  
平須賀村 赤木裏橋 宝珠花道に属し村の北方 北側分水に架す 長六尺巾六尺 346
女体落堀橋 里道に属し 女体落堀に架す 長一間巾四尺  
上戸裏橋 里道に属し村の南方 中郷分水に架す 長六尺巾一間  
惣新田村 上沢橋 里道に属し村の中央 中悪水の中流に架す 長二間巾六尺 356
中野村 上石橋 里道に属し村の北方 北側用水の上流に架す 長二間巾八尺 359
新田石橋 里道に属し村の中央 北側用水の中流に架す 長二間巾八尺  
平野村 須賀間橋 里道に属し村の南方 北側用水の支流に架す 長二間巾五尺 362
木立村 十二枚橋 宝珠花道に属し村の中央 北側用水の中流に架す 長三間巾一間 369
中川崎村 石橋 里道に属し村の西南 用水の上流に架す 長九尺巾六尺 395
野道に属し 上郷中落堀の上流に架す 長八尺巾五尺  
下川崎村 道口橋 里道に属し村の巽の方 上郷中落の下流に架す 長二間巾六尺 398
山王橋 里道に属し村の南方 上郷中落の上流に架す 長二間巾六尺  
細野村 *鹿島橋 村道に属し 庄内堀の中程に架す 長三間巾七尺 6
槙野地村 *鹿島橋 村の西方 庄内堀の中程に架す 長二間巾七尺 9

(注)上郷中落とは現在の中落悪水路のこと。幸手駅の西側で倉松川へ合流している。


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