葛西用水 (かさい ようすい) (その4) (その1)(その2)(その3)  [葛西用水のページ一覧

 撮影地:埼玉県久喜市、越谷市

 この区間では溜井(ためい)に流域からの排水を貯留し(河道貯留)、複数の溜井を
 河川で連結した(用排水兼用)、葛西用水路の典型的な形態が垣間見れる。
 葛西用水路は大落古利根川と元荒川の河道を送水路として利用している。
 しかも両河川の末端にはそれぞれ、松伏溜井と瓦曽根溜井が設けられ、
 逆川(鷺後用水路:さぎしろ、延長約3.3Km)によって、松伏溜井と瓦曽根溜井は接続されている。
 現在の逆川はコンクリート護岸の水路へと改修され、川幅は従来の約1/2となっている。
 余剰地となった両岸には緑道(遊歩道)が整備されている。

 西用水上流部の終点
(1)葛西用水上流部の終点 (上流から)
 左岸:杉戸町下野、右岸:久喜市吉羽
 葛西用水の上流部は、
青毛堀川と合流して終了する。
 合流地点から下流は、一級河川
 大落古利根川となる。
 写真の左が葛西用水、右が青毛堀川。それぞれに、
 幸手領用水と騎西領用水の余水が流れている。
 ここから古利根堰までの約23Kmの区間、葛西用水は
 大落古利根川の河道を送水路として利用している。
 その区間では古利根川には、
見沼代用水(騎西領用水と
 笠原沼・黒沼用水)からの排水が、数多くの落し
 (農業排水路だが、河川管理上は一級河川)を
 経由して流入し、葛西用水の水量を補強している。
   松伏溜井と古利根堰
  (2)松伏溜井と古利根堰 (下流から)
   右岸:越谷市大吉、左岸:松伏町田中三丁目
   古利根堰はかつては増林堰枠という名前であり、
   松伏(増林)溜井(ためい)の下流端に設けられている。
   松伏溜井は古利根川の河道を貯水池としていて、松伏領、
   新方領、二郷半領、八条領へ送水している。現在の古利根堰は
   鋼製ローラーゲート(幅20m)が3門、右岸に設けられた取水口から
   逆川(葛西用水)に分水する。遠隔操作により、水位の調整
   (堰上げと洪水調節)が行なわれている。洪水流下のためだろうか、
   堰下流に併設された寿橋(野田街道に架かる)の脇には、仮設の
   ような形態の放流工(通水断面はコルゲートパイプ製)が設けられて
   いる。寿橋は旧堰(ストーニーゲート8門)の建設時に初めて架けられた。

 逆川の葛西用水元荒川伏越
(3)逆川の葛西用水
 元荒川伏越(吐き口) 越谷市御殿町
 写真(2)から3.4Km下流。逆川で運ばれた用水は、
 最初に大吉伏越で
新方川、次に元荒川の下を伏せ越す。
 写真は元荒川伏越の吐口(伏越の出口)。呑口側の
 大沢地区の地蔵橋の下流には、大正13年(1924)竣工の
 
逆川逆止堰(逆流防止水門)が残っている。これは
 逆川が元荒川に合流していた頃の名残りだ。
 なお、御殿町という地名は、この地に徳川家康が
 鷹狩のさいに宿泊した越ヶ谷御殿があったことに
 由来する。伏越の呑み口側には[越谷市指定旧跡
 越ヶ谷御殿跡]の標石が建てられている。

   元荒川と葛西用水
  (4)元荒川と葛西用水(上流から) 越谷市東越谷一丁目
   柳橋の付近からしらこばと橋までの約1Kmの区間は、
   かつては瓦曽根溜井の敷地だった。現在は埋め立てられ、
   右岸側には越谷市役所や公共施設が立ち並んでいる。
   元荒川(左)と葛西用水(右、昭和中期に新たに開削)は
   中央に設けられた背割堤(通称.中土手)で仕切られて
   流れている。中土手によって、用排水(排水:元荒川、
   用水:葛西用水)が完全に分離されている(治水対策)。
   この約1.2Kmの区間、葛西用水路の水辺には花壇や
   遊歩道が設けられ、葛西親水緑道として整備されている。
   写真の奥は新平和橋(元荒川)と平和橋(葛西用水)。   


 瓦曽根溜井と東京葛西用水の元圦
(5)瓦曽根溜井と東京葛西用水の元圦 越谷市西方二丁目
 逆川で運ばれた用水は、元荒川を伏せ越し、
 瓦曽根溜井(かわらそね
 ためい)に送られる。
 かつて瓦曽根溜井からは、上流から順に四ヶ村用水、
 谷古田領用水、東京葛西用水、八条用水が
 取水していたが、現在は都市化によって水田自体が
 消滅しているので、農業用水を取水しているのは、
 実質的には八条用水のみだ。なお、谷古田用水の
 取水口は
埼玉県現存最古の煉瓦樋門(1891年建造)だ。
 写真中央の斜張橋は越谷市自慢のしらこばと橋。
 付近の河川敷には、キタミソウが自生しているそうだ。


   
元荒川と瓦曽根溜井
  (6)元荒川と瓦曽根溜井(上流から) 越谷市相模町
   
元荒川(写真左)の流路と瓦曽根溜井は、写真中央の
   中土手によって完全に分離されている。以前は中土手は
   存在せず(松土手と呼ばれる小規模な堤防は存在した)、
   元荒川の河道全体を溜井として利用していた。
   ここには明治中期まで、瓦曽根河岸と呼ばれる船着場があり、
   中川や古利根川からの船が集まり、荷物の積み下ろしが
   おこなわれていた。写真右は瓦曽根溜井の末端に設けられた、
   瓦曽根堰。旧堰は昭和初期に実施された
元荒川の改修事業
   建設されたもので、赤水門と呼ばれていた(ストーニーゲートを
   10門装備)。元荒川は、この地点から3Km下流で
中川に合流する。

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