酒巻導水路 (その2) (その1

 酒巻導水路  酒巻導水路(上流から) 行田市長野
 国道125号の行田バイパスの付近の様子。
 この付近は文教区域のようで、行田進修館高校、
 行田工業高校、長野中学校が立ち並ぶ。
 そのためか水路の周辺は宅地化が進行しているが、
 右岸側にはまだ水田が残っている。
 酒巻導水路の水路断面は複断面であるが、
 これは昭和40年代に改修されたもの。
 この付近から下流へ1Kmの区間には、
 デザインが秀逸な古い橋梁が数多く残っている。
 →鉄道の古レールを再利用したアーチ橋が3基、
  水路橋が2基(八ツ島掛樋、
赤堀掛樋)、
  堰に併設された橋が2基(玉野橋、長郷橋)、
  
栄橋などである。

 玉野用水取入樋管
 
玉野用水取入樋管(上流から) 行田市桜町
 昭和8年竣功、スルースゲート(幅1.5m×2)
 樋管の上には玉野橋(昭和38年に拡幅)が架かる。
 
玉野用水は、酒巻導水路からの最後の分水路。
 玉野用水という名称は、行田市埼玉の
 行田市長野のから命名されたと思われる。
 玉野用水はこの後、忍川に並行して流れ、旧忍川や
 武蔵水路を
横断して、下長野用水や埼玉用水へと
 分水する。最下流では、吹上町との境界付近の
 行田市
樋上、堤根地区までかんがいしている。
 玉野用水の流末は元荒川に放流される。
 なお、
さきたま古墳群の中を流れている、
 埼玉用水と元成田用水も玉野用水の流末である。

   
玉野用水分水堰
   
玉野用水分水堰(上流から) 行田市桜町
   昭和8年竣功(右岸の翼壁に銘板あり)。スルースゲート3門
   (幅3m×1、幅1.5m×2)。堰に併設して、長郷橋(ながさと、S.41年に
   拡幅)が架けられている。この付近は第二次大戦中は水泳場
   (軍事教練を兼ねる?)だったという。写真手前から奥に流れるのが、
   酒巻導水路。玉野用水分水堰は、導水路の水位を堰上げて、
   左岸側に設けられた玉野用水取入樋管へと送水するための施設。
   分水堰の形式は、元荒川改修事業の標準形ともいえる。
   (1)堰柱の上に橋が併設されている
   (2)併設された橋の桁側面の形状は、多連アーチ(多径間連続桁?)
   (3)堰の両脇に階段(管理台に登るため)が付けられている
   (4)管理台の下には持ち送り、堰柱の上には渦巻き状の装飾
   →
元荒川改修事業の堰:斎条堰(星川)、北根堰(旧忍川)、宮地堰(元荒川)

 酒巻導水路の終点

 酒巻導水路の終点(左岸下流から) 行田市桜町

 酒巻導水路は、玉野用水分水堰から400m下流で、
 
忍川に合流して終了する。合流部付近の護岸は練り石積み。
 写真の左側が忍川、右側が酒巻導水路で、
 酒巻導水路の終点には、花見橋が架けられている。
 花見橋の周辺は昔から桜の名所だそうで、花見橋の欄干には、
 桜の花びらがデザインされている。酒巻導水路も玉野用水分水堰から
 下流は両岸が桜並木となっている。

 花見橋の上からは、秩父鉄道の忍川橋梁(煉瓦造りの鉄道橋)の
 ノスタルジックな姿が展望できる。
 なお、花見橋の西400mには秩父鉄道の行田市駅、
 西南1Kmには
忍城水城公園(忍沼と忍城外堀の跡地を公園化)、
 南4.5Kmには
石田堤(石田三成による忍城水攻めの跡)がある。

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関連項目:[古レールアーチ橋の分布図] [古レールのアーチ橋] [酒巻導水路の古い橋]