見沼代用水 〜 石仏と祠(ほこら) (その1) (その2)(その3)(その4)
塞神(道標) 行田市荒木(左岸) 天満宮の境内 文化三年(1806) 地上高152cm(台57cm),幅39cm 塔の背面は馬頭観世音 台正面:(左)西 くま加”や(熊谷) (中)南 行田道 (右)か王ま多(川俣)道 台裏面:(中)北 すかミち |
題目塔(道標) 行田市荒木(左岸) 天祥寺の境内 文化十二(1815) 地上高150cm(台50cm),幅42cm 塔(正面)観音経七万巻/地蔵経七万巻 頂部に聖観音と地蔵の坐像 台正面:(左)南 行田 (中)北 川俣 (右)東 下須戸 |
石仏群 行田市荒木(左岸) 秩父鉄道の見沼代用水橋梁の300m南にある。 どれも江戸時代に建立されたもので、 年代は寛文、天和、元禄、享保が読み取れる。 大部分が見沼代用水が開削される前の 1600年代の古いものである。 右端の観音像はサウスポー |
弁財天 行田市下須戸(八坂神社) 太田西小から北へ400mにある。 明和六年(1769)十二月 医王寺 台座に施主6人と8人の氏名。 台座が3段でかなり大きい。 本体は39cm角、高さ93cm |
弁財天 行田市下須戸(御嶽神社) 須戸橋(国道125号線)の左岸。 延享二年(1745)建立。御嶽神社には 白蛇大明神も祀られている。蛇は弁財天の 使いとされる。須戸橋の付近には 見沼通船の荷降場があった。 |
↑地蔵と弁財天 行田市下須戸(左岸、柳大橋の上流) 左の祠にはお地蔵さま、右が弁財天。 弁財天とは俗に言う弁天様で、水の神様である。 ここから1.2Km南の旧忍川には、弁天門樋という名の 煉瓦造りの水門(明治38年竣工)がある。 旧忍川は見沼通船にも使われた。 |
↑水神宮 行田市小針(右岸) 田島橋の上流右岸、 緑のヘルシーロード (歩行者自転車専用道)の脇にある。 2基とも西側を向いて建てられている。 寛政四年(1792)と文化年間(1810年頃)の建立。 見沼代用水の上流部は、自然河川の星川なので、 江戸時代には洪水の氾濫も多かったのだろう。 田島橋の左岸には星川から下須戸、藤間へ洪水が 逆流するのを防ぐための樋門:源兵衛門樋(明治36年 竣工)の遺構が残っている。 |
↑大弁才天女 行田市藤間(藤間神社) 明和八年(1771)建立。経典供養塔を 兼ねる。奥州金華山とある。龍の上に 乗り、剣と宝珠を持ち頭上には鳥居、 下に眷属を二人従えている。一人は 勝軍地蔵。藤間神社の前身は雷電社。 |
↑観音(道標)行田市真名板(まないた) 万蔵橋(見沼代用水)の左岸 弘化三年(1846) 高96cm(台25cm),幅37cm,奥30cm 台右面:(右)東 きさ以(騎西)道 (左)西 きやう田(行田)道 台左面:(中)北 はにう道 |
↑弁財天 行田市関根(関根神社) 宝暦二年(1752)建立。関根村惣村中 関根神社には菅原道真の歌碑、 文政二年建立の金毘羅大権現もある。 金毘羅は水にかかわる信仰。右岸では 旧忍川が見沼代用水へ合流している。 |
↑馬頭観音(道標) 行田市関根 新落合橋の左岸、県道32号、関根バス停 天明二年(1782) 高225cm(台96cm),幅35cm 二十二夜待供養と刻まれているが、 主尊は馬頭観音(3面6手) 台:正面(左)右 きやう△(行田) (中)きた,はにう/加わま△(川俣) (右)左 江戸△ 下の台は下部が埋没 |