新河岸川 (しんがしがわ) (杉下橋から九十川の合流まで) [新河岸川のページ一覧]
撮影地:埼玉県川越市
↑杉下橋の付近(上流から) 左岸:川越市松郷、右岸:川越市廓町(くるわ) 杉下歩道橋の上から撮影。川幅(天端幅)は約18mに 広がっている。廓町(曲輪)という地名が示すように、右岸には 川越城の本丸があった。跡地には市立博物館、初雁球場、 川越高校など公共施設が建っている。三芳野神社は曲輪の 天神社で、童謡[とうりゃんせ]の歌詞の発祥地だとされる。 この付近から新河岸川は左岸を国道254号線に隣接して 流れる。新河岸川の流路のうち、国道254号線(および 国道16号線)に並行する真っ直ぐな区間(田谷堰の付近から JR川越線の付近まで)は、昭和初期に開削されたもので、 この付近は元来は川越城の外堀だった。 |
↑新琵琶橋の付近(右岸上流から) 左岸:川越市小仙波(こせんば)、右岸:川越市小仙波町三丁目 国道254号線と県道15号線の交差点付近。写真の左奥は 小仙波跨道橋(国道254号)、右は新琵琶橋(新河岸川)。 この付近の新河岸川は放水路として開削された人工水路である。 岸辺の標識には新河岸川と書かれているが、新琵琶橋の銘板には、 新赤間川と記されている。赤間川を新河岸川に繋いだ河川改修の 歴史を垣間見ることができる。新河岸川を挟んで地形に大きな変化が 見られる。左岸は低地であり、東側の伊佐沼へと連なる。 一方、右岸は台地である。台地には古くから集落が形成されて いたようで、小仙波貝塚の跡も残っている。小仙波町四丁目には 湧水があり(注)、龍池弁財天が祀られている。 |
↑仙波河岸の跡(川越市岸町一丁目、新河岸川の右岸) 滝ノ下終末処理場(大仙波)の西側、新河岸川の右岸に 隣接する。仙波河岸(新河岸川で最も新しく、かつ最上流に あった河岸)の跡地は、休憩所や自然観察地を設置し、 仙波河岸史跡公園として整備されている。 荷揚げ場の面影を残す舟着場の跡地といった印象だ。 公園の北西部は台地となっていて、崖上には愛宕神社が 鎮座する(直径30mの円墳の上に建つ)。崖下には近年まで 湧水があり、仙波の滝として親しまれた。仙波の滝の脇には 水神宮と倶利伽羅不動が祀られている。河岸場の関係者が 舟運の安全を祈願して建立したのだろう。愛宕神社には 江戸時代に建てられた芭蕉の句碑が2基ある。 なお、愛宕神社の北にある富士見橋は昭和初期建造の RC開腹アーチ橋で、道路橋では珍しい形式だ。 |
↑不老川の合流(下流から) 右岸:川越市砂、左岸:川越市大仙波 写真は扇橋(扇河岸)の上から撮影。扇河岸地区は砂地区の 中に飛び地として点在する。扇河岸(川越五河岸のひとつ)の 名前がそのまま地区名として残っている。扇橋の上流200mでは 不老川(としとらずかわ)が新河岸川の右岸へ合流する。 東京都西多摩郡瑞穂町を水源とする一級河川だ。 写真の左上が不老川、北東へ向かって流れ、自然合流する。 扇橋の上からは、この付近の地形が新河岸川の両岸で 対照的なことが見て取れる。右岸は台地であり、不老川が 侵食して流れる。一方、左岸は新河岸川と九十川に挟まれた 低地であり、まだ水田が多く残っている。なお、砂と下新河岸には 新河岸川の沿線に古い火の見櫓が残っている。 撤去され続けているが、それでも川越市には火の見櫓が非常に多い。 |
↑旭橋の付近(川越市下新河岸、上流から) 不老川の合流(この地点から1Km上流)から下流は、 新河岸川の河道は拡幅されていて、川幅は非常に広い。 両岸には本格的な堤防が設けられているが、かつて 九十九曲がりと称された蛇行の片鱗が見られる。 左岸には九十川の旧河道も残っている。昭和初期まで、 九十川は旭橋の下流で、新河岸川へ合流していた。 右岸の日枝神社付近には河岸場、下新河岸と上新河岸、 対岸には牛子河岸があった。厳島神社に弁財天が2基も 祀られているのは、河岸場の関係だろうか。今でも右岸の 斜面林からは湧水があり、新河岸川へ注いでいる。 |
↑九十川の合流(左岸上流から) 左岸:川越市南田島、右岸:上福岡市川崎 旭橋から1.2Km下流の地点。左岸から九十川樋門を 経由して、九十川(一級河川)が合流する。 樋門は洪水時にはゲートが閉められ、新河岸川から九十川への 逆流を防止する。脇には九十川排水機場が設けられている。 舟運が盛んであった頃、九十川は伊佐沼へ直通する運河としても 使われていたようだが、現在は伊佐沼の放水路としての役割が 大きい。かつて、この付近には川崎橋が架かるまで、木野目の渡し (渡船)があり、川越市の木野目と上福岡市の川崎を連絡していた。 なお、ここから200m上流では、右岸へ川越江川が合流している。 |
(注)新河岸川の右岸の台地は段丘崖を形成している箇所が多く、
そのような所(ハケ)では湧水が見られた。
小仙波町二丁目の浮島神社の裏手にも、清水町と呼ばれた湧水があった。
水量が多く、周辺は沼地となっていたので、神社は水に浮いたように
見えたので、稲荷社が浮島神社と命名されたのだという。
沼地には片葉の芦が自生していたそうだ。
行田市埼玉の小埼沼にも同様の伝承がある。