芭蕉の句碑  利根川沿線:(行田市) 本庄市、美里町)(深谷市妻沼町、熊谷市)(羽生市、加須市)(北葛飾郡)(大泉町、千代田町
           荒川流域:
秩父郡)(大里郡)(熊谷市、北足立郡)(入間郡)(比企郡)(小川町

 撮影地:埼玉県行田市(ぎょうだ)

 ここで云う芭蕉の句碑とは、松尾芭蕉の俳句が刻まれた碑のことである。
 松尾芭蕉の没後(1694年)から現代までに建てられたもので、その建立目的は芭蕉の追善供養、
 地元の俳諧仲間の記念碑、単なる文学碑、句以外には何も記されておらず目的不明など様々である。
 そのような芭蕉の句碑が全国に約1500基が存在するという。埼玉県では104基の存在が確認されていて、
 県別に見ると、群馬県の196基、長野県の189基に次ぎ、全国第3位に入る多さである(→参考文献)

 利根川の沿線には本庄市に6基、深谷市に9基、熊谷市に5基、妻沼町に7基、行田市に8基、
 羽生市に4基、加須市に4基が存在する。これら7市町村の計43基は、埼玉県の全体数の約4割に相当する。
 建立年別では江戸時代後半の句碑が多いが、これは当時、庶民の間で俳諧が流行し、
 その仲間達が連(俳諧連:いわば俳句の愛好会)を結成していたことも要因だろう。
 俳諧連は定期的に集まって句を詠み合い、時には句碑の建立や句を記した額を寺社に奉納したりした。
 芭蕉の句で最も人口に膾炙しているのは[古池や蛙〜]だが、意外なことに、
 この句碑は埼玉県には5基しか存在しない。興味深いことに、それらのうち3基が
 妻沼町(聖天院)、行田市(大長寺)、羽生市(薬師堂)と利根川沿いの狭い範囲に分布している。

 埼玉県全域の特徴は、県の東部(北葛飾郡、南埼玉郡)には、芭蕉の句碑が少ないことだ。
 芭蕉の句碑が残っている場所は、寺院、神社の境内が圧倒的に多い。
 次いで個人の屋敷内(墓地を含む)であり、路傍は極めて少ない。
 ただし、秩父郡と比企郡は路傍に存在する比率が、他の郡に比べると多い。
 句としては[春もやや けしきととのふ 月と梅]の碑が7基あり、埼玉県では最も多い。
 次いで[古池や蛙〜]と[もの言はば 唇さむし 秋の風]が5基、[名月の 花かと見えて 綿畠]が4基である。
 [梅か香に のつと日の出る 山路かな]、[原中や 物にもつかず 啼雲雀]、
 [寒菊や 粉糠のかかる 臼の端]、[むかしきけ 秩父殿さへ すもうとり]がそれぞれ3基ある。
 [むかしきけ ]の秩父殿とは、畠山重忠(鎌倉時代に大里郡川本町に館を構えた武将)のこと。
 親の代まで秩父に居住していたので、いわゆる[ご当地俳句]であり、故に句碑が多いのだろう。

 参考文献: 芭蕉句碑を歩く、小林甲子男、さきたま出版会、1983

 行田市上池守 天神社
(1)行田市上池守 天満宮(天神社)
   
名月や 池をめくりて 夜もすから
 天満宮は熊谷市池上との境、JAくまがや星宮支所の
 東側にある。句碑は中島(弁財天と稲荷神社が
 祀られている)のほとりにある。中島の周囲は池だったが、
 現在は水はない。句碑はコンクリートの台座に置かれて
 いて、台座には熊谷町清水町生魚商 大正十?年二月と
 刻まれている。
   行田市北河原 照岩寺
  (2)行田市北河原 照岩寺 明治初年
 
    父母の しきりに恋し 雉の声
   照岩寺は
福川の右岸堤防の裾に位置する臨済宗の寺院。
   句碑は本堂と無縁塔の間に建てられている。
   句以外の文字は、一切記されていない素朴な碑だ。
   高さ86cm、幅50cm。
   照岩寺には北河原という地名の由来となった、中世の
   武蔵武士 河原太郎・次郎兄弟の位牌と供養塔もある。

 行田市行田 大長寺
(3)行田市行田 大長寺 寛政年間 行田市指定文化財
   
古池や 蛙飛びこむ 水の音
     多少庵秋瓜
 謹書
 大長寺(忍城主
 阿部氏の菩提寺だった)は忍川
 右岸にある。この句碑は桜町(忍川の左岸)の小沼橋の
 付近にあったのを移築したのだという。

   
行田市藤原町二丁目
  (4)行田市藤原町二丁目 寛政五年(1793)建立
 
    春もやや けしきととのふ 月と梅
      多少庵秋瓜
 敬書
   この句碑は住宅地の中にあり、所在がわかりにくい。
   八坂公園から東へ150m、地蔵塚古墳から西へ250m、
   藤原町2-15付近、竹内家の墓地内にある。

 行田市須加 如来堂
(5)行田市須加 如来堂 文久二年(1862)当所連建立
   
あの雲は 稻妻を待つ たより哉
 
利根川の右岸堤防の裾にある阿弥陀堂(如来堂)の
 入口にある。堂は寛政七年(1795)の建立と
 伝えられている。堂の扁額は忍城主
 阿部正識の書
 (行田市指定文化財)。如来堂の脇には大河・利根川が
 ゆったりと流れ、周囲には広大な水田地帯が
 展開している。須加地区には群馬県の板倉町から
 勧請した雷電宮が多い。
 その風景にふさわしい内容の句が選ばれている。

  
行田市須加 須加宅
 (6)行田市須加 須加宅
  安政七年(1860)建立
    
両の手に 桃と櫻や 草の餅
  本性寺の南東150mに位置する旧家、
  須加家にある。句碑は母家の東側に
  あるが、ここはかつては街道(母家へ
  の通路)だったという。

  
行田市野
  (7)行田市野795 高橋彦次郎宅
   行田市指定文化財
   明治九年(1876)十月建立
     
名月の 花かと見えて 綿畠
   正覚寺の住職が建立し、その後、
   大檀那である高橋家が譲り受けたもの。
   かつて野村では綿花の栽培が盛ん
   だった。ふさわしい句が選ばれている。

戻る:[河川の一覧
芭蕉の句碑:(本庄市、美里町)(深谷市妻沼町、熊谷市(行田市)羽生市、加須市)(北葛飾郡)(大泉町、千代田町
 荒川流域
:(秩父郡)(大里郡)(熊谷市、北足立郡)(入間郡)(比企郡)(小川町