芭蕉の句碑 荒川流域(熊谷市、北足立郡) (秩父郡)(大里郡)(入間郡)(比企郡)(小川町
          利根川の沿線:本庄市、美里町)(深谷市妻沼町、熊谷市)(行田市)(羽生市、加須市)(北葛飾郡)(大泉町、千代田町

 撮影地:埼玉県熊谷市、鴻巣市、北本市、上尾市、戸田市

 熊谷市鎌倉町 石上寺
(1)熊谷市鎌倉町 石上寺(せきじょう)
 明治三十五年(1902)三月建立 八十叟晋永機
 
  しはらくは 花の上なる 月夜哉
 元々は
旧熊谷堤(北条堤)の上に建っていたのだが、
 石上寺へ移築したのだという。熊谷堤とは荒川の
 左岸堤防の通称であり、石上寺の本堂も熊谷堤に
 建つ。桜の花の名所でもある。高さ145cm、幅85cm
   熊谷市円光二丁目 報恩寺
  (2)熊谷市円光二丁目 報恩寺 明治二十四年(1891)二月
     物いへば 唇さむし 秋の風
   建立者(書も)は内田朴山。座右之銘として芭蕉の句が
   記されている。高さ140cm、幅97cm。
   すぐ脇には元治二年(1865)建立の内田五八九の句碑がある。
   五八九は朴山の叔父であり、俳諧の師匠である。


 
鴻巣市箕田 氷川八幡神社
(1)鴻巣市箕田 氷川八幡神社

 安永七年(1778)三月建立 桃源庵文郷
 
  蝶の飛 はかり埜中の 日かけかな
 箕田碑は箕田源氏の歴史を記したもの。緑泥片岩で、
 高さ165cm、幅135cmと大きい。碑の裏には渡辺綱の
 辞世の歌、次いで芭蕉の句が刻まれている。

   鴻巣市本町八丁目 勝願寺
  (2)鴻巣市本町八丁目 勝願寺

   天明七年(1787) 勝願寺住三十世仁譽代建之
 
    けふはかり 人も年よれ 初時雨
   千句塚は宝暦十三年(1763)の芭蕉の70年忌のさいに、
   横田柳几が千句を詠んだ塚。背面に建碑の由来が漢文で
   記されている。70年忌には間に合わず、24年後の建立となった。


 北本市石戸宿四丁目 榎堂
(1)北本市石戸宿四丁目 榎堂
 嘉永四年(1851)建立
   
原中や 物にもつかず 啼雲雀
 桶川市川田谷との境界付近、県道57号さいたま
 鴻巣線(
桜堤通り)の三叉路脇にある。

   上尾市領家 椿堂
  (2)上尾市領家 椿堂
   天保五年(1834)正月 碑文は松日庵伊圭
 
    うぐひすの 笠落したる 椿かな
   椿堂は宮下樋管(
江川が荒川へ合流)の東側、
   荒川の左岸堤防の脇に位置する。

 上尾市宮本町 氷川鍬神社
  (3)上尾市宮本町 氷川鍬神社
   文政六年(1823)
 
    旅人と 我名呼ばれん 初時雨
   氷川鍬神社はJR上尾駅のすぐ東側に鎮座する。
   句碑は浅間大神(富士塚だろう)の中に
   建てられている。幅93cm、高さ80cm。
   句碑の背面には上尾郷の俳人13人の
   名前が彫られている。


 戸田市上戸田三丁目 氷川神社
  戸田市上戸田三丁目 氷川神社
  文政七年(1824)四月
 
    凉しさや ほの三日月の 羽黒山
  氷川神社の社殿の南西にある。
  碑文は蓑谷既盈(八十二書)
  戸田の渡しの付近に建立されたが、
  明治期に当地へ移築。
  幅126cm、高さ132cm。

参考文献: 芭蕉句碑を歩く、小林甲子男、さきたま出版会、1983


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