煉瓦のアーチ橋
(注)本ページの画像は、Nikon COOLPIX 995 (334万画素)で撮影しました。
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岡の煉瓦橋 - 周辺の風景 - 埼玉県大里郡岡部町岡3218付近 左岸下流から (F8.0,45mm) 天端長 3.8m、幅 7m(歩測)、高さ 2.5m 大正14年以降に建設? この橋は正式名が不明で、通称”岡の煉瓦橋”と呼ばれている。 橋が架かるのは福川(利根川水系の一級河川)の源流の一つで、 橋の上の道路は旧中山道。写真右の方向が本庄市である。 中山道は重要な街道だったので、歴代の架橋は建設当時としては豪華で 最先端のものが多い。この付近には明治期の石橋(穂波橋、筑波見橋)や 昭和初期のプレートガーダー橋(滝岡橋:煉瓦橋台+石の欄干)と 貴重な橋が現存する。岡の煉瓦橋に使われている煉瓦は、なぜか (深谷市の日本煉瓦製造の)赤れんがではなく、チョコレート色(焼過煉瓦)。 - 岡の煉瓦橋の詳細 - |
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備前渠用水のアーチ橋 国の重要文化財 埼玉県深谷市上敷免(じょうしきめん) 下流から (F6.0,38mm) 天端長 3.6m、幅 5.1m、内空高 2.1m 明治29年頃に建設? このアーチ橋は、備前渠用水から分水する新井用水の上に 架けられている。日本煉瓦製造(株)の南東、備前渠鉄橋の脇にある。 現在はあかね通りの歩行者専用橋となっているが、 元々は鉄道橋(日本煉瓦製造の専用線)である。 なお、専用線に架かっていた橋梁は、このアーチ橋を含めて3基が 今は歩行者専用橋として使われている(→備前渠鉄橋、唐沢川鉄橋)。 - この橋の詳細 - |
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高台橋 (たかだいばし) -
周辺の風景 - 埼玉県さいたま市大宮区北袋町1丁目 下流から (F6.0,85mm) 天端長 4.1m、アーチ径 2.8m(推定) 明治期に建設? 高台橋は、JR さいたま新都心駅の東口に隣接し、 高沼(鴻沼)用水が旧中山道と交差する地点に架けられている。 近代的な都市景観の中に、古い煉瓦造りのアーチ橋が ポツンと取り残された光景はある種の趣がある。 銘板の付いた親柱を持ち、面壁天端には笠石、 アーチリング中央には要石(くさび形)が施されている。 アーチリングは煉瓦小口の5重巻きたて(埼玉県では現存唯一) - 高台橋の詳細 - |
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閘門橋 (こうもんばし) 大場川、東京都葛飾区西水元6丁目 右岸上流から (F6.9, 38mm) アーチ(上流側:4連、下流側:6連) 長さ 30m(歩測)、幅 3.0m、高さ 5.5m(推定) 明治42年(1909)建設 上の道路は、旧岩槻街道。欄干は後年に付けられたもの。 閘門橋は煉瓦造りのアーチ橋としては、 東京都に現存する唯一のものである(とされている)。 もともとは閘門(水門の一種)として建設されたもので、 正式名を、弐郷半領猿又閘門という。 東京都に設けられているが、建設したのは埼玉県の水利組合である。 現在は水門としての役目を終え、歩行者専用の橋となっている。 - 閘門橋の詳細 - |
(補足)埼玉県では、明治時代中期から大正末期にかけて、レンガ造りの水門が数多く建設された。
現存するものの中には、今では本来の水門としてでなく、道路橋として使われているものも多い。
名称 | 場所 | 建設年 | アーチ | 備考 |
谷古田領元圦 | 越谷市、谷古田用水 | 明治24年(1891) | 1連 | 県道52号、埼玉県で現存最古の煉瓦樋門(黒煉瓦) |
倉松落大口逆除 | 春日部市、旧倉松落 | 明治24年(1891) | 4連 | めがね橋、埼玉県で2番目に古い煉瓦樋門(黒煉瓦) |
村岡樋管 | 熊谷市、吉見堰用水 | 明治24年(1891) | 1連 | 県道11号。黒煉瓦、現在も農業用水を送水している |
榎戸樋管 | 吹上町、元荒川 | 明治34年(1901) | 1連 | 旧中山道、塔付き、現在も農業用水を送水している |
笹原門樋 | 川越市、笹原排水 | 明治34年(1901) | 1連 | 市道、塔付き |
落合門樋 | 騎西町、古川落 | 明治36年(1903) | 1連 | 塔付き、道路は消滅 |
千貫樋 | さいたま市、荒川(旧堤) | 明治37年(1904) | 2連 | 県道57号、水郷公園内 |
水越門樋 | 富士見市、新河岸川(旧堤) | 明治37年(1904) | 1連 | 県道113号の側道 |
三軒家樋管 | 川越市、二間堀 | 明治43年(1910) | 1連 | 市道、吐口は2連 |
二郷半領用水逃樋 | 三郷市、第二大場川 | 明治45年(1912) | 1連 | 県道67号(旧岩槻街道) |
二郷半領不動堀樋 | 〃 | 大正3年(1914) | 〃 | 〃 |