続・水辺の神様 (その6)_ | 続・水辺の神様の一覧 |
和田吉野川の周辺
↑弁財天 和田吉野川(左岸) 埼玉県大里郡江南町成沢、赤城神社 延享二年(1745)二月 8手の立像。 武州大里郡上吉見領 台座に7人の 氏名。高さ96cm、幅39cm |
↑弁財天 和田吉野川(左岸) 大里郡大里町下恩田、諏訪神社 諏訪神社は下恩田村の村社。 明治三十年(1897)十一月建立 高さ41cmの小さな石祠。 |
地蔵(道標) 和田吉野川(左岸) 大里郡大里町沼黒(ぬまぐろ)、正福寺 建立年不明、状態:並 高79cm,幅33cm,奥29cm 正面(右下)くまかやミち |
↑水神宮 和田吉野川(左岸) 大里郡大里町高本、高城神社 高城神社は大里郡の延喜式内社。 昭和三十二年(1957)三月建立 脇には龍祭神社の石祠もある。 |
馬頭観音(道標) 和田吉野川(左岸) 大里郡大里町高本(たかもと) 簀子橋の左岸橋詰 文政二年(1819) 高79cm,幅29cm,奥22cm 左面(下)右 松山/左 熊谷 |
地蔵(道標) 和田吉野川(左岸) 大里郡大里町高本 ←の馬頭観音と共に並ぶ。 享保九年(1723) 高65cm,幅35cm,奥19cm 正面(右)右松山道 (左)左熊谷道 |
↑庚申塔 和田吉野川(右岸) 埼玉県東松山市岡、光福寺 寛文九年(1669) 庚申供養現世安穏 下部に10数人の名前。 高さ155cm、32cmの角柱 |
地蔵(道標) 和田吉野川(右岸) 東松山市岡(五反林)光福寺の東辻 建立年不明 高192cm(台21cm),幅38cm 台正面に左 よりいみ△ 右△△ |
灯篭(巳待供養) 和田吉野川(右岸) 埼玉県東松山市岡、玉太岡神社 享保八年(1723)霜月 奉納御神前 巳待供養。台座に施主など9人の名前 高さ154cm、21cmの角柱 |
↑九頭龍権現 九頭龍川 埼玉県東松山市岡 寛政元年(1789)。九頭龍川は 和田吉野川の支川。九頭龍川の 終点付近、岡排水機場の西側に ある。高さ22cm、幅17cm。 |
↑吉見神社の石仏群 和田吉野川(右岸) 埼玉県大里郡大里町相上(あいあげ) 吉見神社は和田吉野川の右岸堤防に隣接する。 金毘羅大神社:安政四年(1857)六月、 世話人二名。大天狗小天狗とも刻まれている。 頭犬宮、牛頭天王:寛政三年(1791) 弁才天女宮、天神宮 |
↑弁才天女と亀井の井戸跡 和田吉野川(右岸) 大里郡大里町相上 吉見小学校から東へ350m。 明和七年(1770)四月 相上村 講中十三人 村中合力。頂部の種字はソ(聖観音)ではなくウ。 宇賀神と習合した弁財天である。背面には 亀井の井戸(写真の右端、今は枯れている)の 来歴が長文で記されている。高さ73cm、幅33cm。 脇には宝暦三年(1753)の庚申塔(文字塔)もある。 |
↑八幡神社の石仏群 和田吉野川(右岸) 埼玉県大里郡大里町玉作(たまつくり) 八幡神社は和田吉野川の右岸堤防に隣接している。 7基の石祠と常夜灯が一箇所に集められている。 石尊大権現:天保八年(1837)、村内安全 願主 金井忠? 石尊とは大山阿夫利神社を指し、 雨乞いの信仰ともされる。 牛頭天王:寛政元年(1789) 天神、三峰講 |
↑石仏群 和田吉野川(右岸) 埼玉県大里郡大里町玉作 玉作水門から200m下流、右岸堤防の裾。 左から牛頭天王宮、諏訪大明神、住吉大明神、 庚申塔(青面金剛)、庚申塔(観音像)。 庚申塔(青面金剛)は寛文十二年(1672)建立。 青面金剛の庚申塔としては、かなり古いもので、 6手(非合掌)、ショケラ、日月、邪鬼、3猿、 2鶏、2童子 |
馬頭観音(道標) 和田吉野川(右岸) 大里郡大里町船木台一丁目 大境公園の南端(冑山から移築) 宝暦十三年(1763) 高119cm(台22cm),幅42cm,奥28cm 右面(下)よしみく王んおん(観音)道 左面(上)行田道 |
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