続・水辺の神様 (その1)_ | 続・水辺の神様の一覧 |
市野川(その2)
↑清瀧辯財天 市野川(右岸) 埼玉県比企郡滑川町羽尾 大正十一年(1922)十二月建立 羽下橋の右岸橋詰にある不動堂の 境内、御嶽山大権現の脇にある。 裏面には御嶽山祈願所不動尊。 |
↑くりから不動 市野川(右岸) 埼玉県比企郡滑川町羽尾 明治九年(1876)八月建立 不動堂の境内には天狗や神王など 御嶽講に関する珍しい像が多く 祀られている。これは竜王が剣を 呑み込んでいる、くりから不動。 滝がある場所などに祀られることが 多いので、水神の一種であろう。 |
庚申塔(道標) 市野川(右岸) 埼玉県東松山市松山町三丁目 氷川神社の南西、県道47号の脇 享保八年(1723) 集合(2体、移築) 状態:良 高103cm,幅44cm,奥25cm 青面金剛立像(6手合掌、日月、2鶏、3猿) 右面(左)右ハ/△ま寺みち 左面(右)左りハひき乃く王おん道 |
庚申塔(三猿) 市野川(左岸) 東松山市松山 岩鼻運動公園野球場の北東端、 第二駐車場の脇。民家の塀が 窪んでいて、その中に祀られている。 脇の市道は鎌倉街道の跡だという。 寛文十二年(1672)十一月 武州比企郡松山住 10人の名前。 下部に蓮の花の浮き彫り。 高さ113cm、幅46cm。 |
地蔵(道標) 市野川(左岸) 東松山市松山 天神橋(市野川)の左岸橋詰の 菅原神社から東に単独(祠内) 状態は並(頭部は付つ替え) 宝暦三年(1753) 高121cm(台56cm),幅42cm,奥32cm 台正面(右)右/よしミく王んおん (左)乃みち(野道)/左 |
辯財天 市野川(右岸) 東松山市松本町二丁目 市野川橋(県道27号東松山鴻巣線)の 上流右岸の堤防際には観音寺池と 呼ばれる周囲長約200mの沼がある。 これは池の西端に祀られている。 文化十四年(1817)六月 八十六翁 愚禅 松山中 高さ85cm(台座は含めず)、幅30cm |
庚申塔(道標) 市野川(右岸) 東松山市松本町二丁目 市野川の橋詰、県道27号の脇 明和四年(1767) 高85cm (台20cm),幅26cm,奥17cm 正面(中央)西,(下)松山みち/ ひきく王んおん/小川ミち 右面(中央上)南,(右)い王むろ/ く王んおん道/よしみ 左面(右上)此方のミち |
水神宮 市野川(左岸) 比企郡吉見町南吉見、大沼 明治21年(1888)5月建立。 側面には願主と世話人。 大沼(百穴湖)は市野川の左岸から 500m北東に位置する。農業用の ため池で排水は市野川へ流れ込む。 この水神宮は堰堤の東端、取水口の 脇に祀られている。 |
馬頭観音(道標) 市野川(左岸) 比企郡吉見町久米田、天神沼の堤防裾 慶応元年(1865) 高185cm(台79cm)、幅41cm、奥40cm 右面:東 桶川 三里、北かうのすへニり 左面:(右下)西まつ山へ一り 台正面に大串村、大和田村の人名 |
↑辯財天 市野川(右岸) 東松山市柏崎、蓮沼 明和五年(1768)三月 台座には13名の名前。 剣と宝珠を持ち、頭上に鳥居と蛇。 蓮沼は市野川の右岸堤防から 300m西に位置する。元来は かんがい用の溜池だったようだが、 現在は干上がっている。 |
↑庚申塔(三猿) 市野川(右岸) 東松山市柏崎131付近 大倉工業から北へ50mの地点、 民家の塀の中に2体の庚申塔と共に 祀られている。 寛文十三年(1673)四月 柏崎村 奉納庚申待為二世安楽。 下部に12人の氏名。 高さ117cm、幅43cm |
↑辯財天 市野川(左岸) 比企郡吉見町北吉見 諏訪沼から 東へ250mの地点、市野川用水の左岸に 2基の庚申塔と共にある。庚申塔は 三猿と青面金剛だが、三猿の方は 慶安元年(1648)の建立と、かなり古い。 文化年間(1810頃)? 江口講中 前大乗九十五翁 愚禅 書の達人、 愚禅和尚の筆だ。この付近は江口村 だったようだ。高さ66cm、幅26cm |
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