橋供養塔 (比企郡川島町)_  埼玉県の橋供養碑


 奉建立橋供養
 奉建立橋供養 根岸沼
 埼玉県比企郡川島町正直(しょうじき)

 根岸沼の湖畔、地蔵尊の脇にある。
 明和六年(1769)建立。
 正直村 願主1名、施主1名。
 高さ約1.6m、幅1.0m、厚さ0.15mの
 自然石が使われた巨大な橋供養碑。
 ここから東へ50mの路傍には
 馬頭観音が6基、庚申塔が1基ある。
   大乗妙典六十六部日本廻国橋供養
  大乗妙典六十六部日本廻国橋供養
  比企郡川島町戸守(ともり)
 長楽用水

  正直と戸守の境、長楽用水の六地蔵橋の
  右岸橋詰に六地蔵(正徳四年)と
  庚申像(寛政五年)と共に祀られている。
  宝暦六年(1756)二月建立。
  自然石で高さ93cm、幅43cm、厚さ11cm。
  頂部に阿弥陀三尊の種子。願主は
  江戸在住?、施主は戸守村の四名。
  なお、
六地蔵橋は大正13年竣工の石橋。
   石橋供養塔
  石橋供養塔 中山用水(左岸)
  埼玉県比企郡川島町戸守(ともり)

  県道212号線が中山用水と交差する付近の
  道路脇にある。中山用水に沿った道路は、
  川越松山往還と呼ばれる旧街道である。
  同所には菩薩像(元禄十三年:1700)と
  庚申像(明和八年:1771)も
  祀られている。この石橋供養塔は
  自然石型(石材は緑泥片岩)で、
  碑名以外の文字は一切ない。

 石橋供養塔
 石橋供養塔 入間川(左岸)
 埼玉県比企郡川島町角泉(かくせん)

 入間川の落合橋と釘無橋の間、
 慈眼寺の境内に祀られている。
 文化三年(1806)十一月建立。
 高さ114cm、幅34cm。
 正面に地蔵の坐像(阿弥陀如来かも
 しれない)と当村数ヶ所の文字。
 左側面には願主
 角泉村 こん?とある

   土橋供養塔、奉供養土橋成就所、地蔵(石橋到造立)
  土橋供養塔、奉供養土橋成就所、地蔵(石橋到造立)
  埼玉県比企郡川島町鳥羽井新田 荒川(右岸)

  大塚橋(市野川、冠水橋)から北へ300mの地点。
  荒川の右岸、河川敷内。
荒井橋(荒川)からだと1.6Km
  下流となる。ここから700m下流で、市野川は荒川の右岸へ
  合流している。供養塔2基と地蔵、如意輪観音の計4体が
  祀られている。写真の左から2体が土橋の供養塔。
  
土橋とは骨組みが木製で路面に土を盛った木の橋のこと。
  一番左が奉供養土橋成就所で、寛政五年(1793)建立
  (三面八臂の馬頭観音、座像)。隣が永代土橋供養塔で
  天保二年(1831)二月建立。供養塔の台座には世話人と
  して近隣の8村の名が刻まれている。鳥羽井村、
  鳥羽井新田、下八林村、大塚村、畠中村、三保谷宿、
  八幡野、石戸下。荒川対岸の石戸下(現在の北本市)も
  含まれている。なお、如意輪観音にも石橋と刻まれて
  いるが、これは苗字ではなく石橋供養のことだと思われる。

  地蔵(石橋到造立)
 地蔵(石橋到造立)
 享保三年(1718)十月 願主2名(僧侶)
 天下泰平 国土安全 六十六部供養之印
 十方男子之守護 布施之力 
 此所石橋到造立者也と刻まれている。
 石橋を建設した記念として、この地蔵は
 建立されたもの。
 台座に石屋手間代勧進 土持人足三百人
 近村勧進也 鴻巣下町 人足六十人勧進
(以上の参考文献) 川島の石仏、川島町教育委員会、1987
  ただし、同書の[大乗妙典六十六部日本廻国橋供養]の建立年は誤りである。
 

 石橋の親柱
 石橋の親柱 氷川神社の神橋
 比企郡川島町下小見野 
市野川(右岸)

 徒歩橋(市野川、県道76号線)の右岸に
 ある氷川神社の参道入口には石橋
 (長さ1.5m、幅1.8m)が架かっているが、
 その親柱は供養塔を兼ねている。
 厳密な意味での石橋供養塔ではない。
 親柱は一辺32cmの角柱で、高さ42cm
 道路に面した面に、文政元年(1818)
 願主
 江戸△ 松屋 一右衛△とある。
 江戸の町屋である松屋某が、この橋の
 寄進者だと思われるが、寄進ではなく
 願主とあるように、橋の建設に関して
 何かしら願をかけている。恐らく松屋は
 比企郡下小見野村近郷の出であり、
 橋を寄進して故郷に錦を飾ると共に
 石橋が永劫に壊れないことや通行の
 安全を祈願したのであろう。下流側の
 親柱には、下小見野村、加胡村、
 松永村(松は木と公を縦に
 並べた変字)とある。

   石橋供養塔
  石橋供養塔 中山用水(右岸)
  比企郡川島町中山〜吹塚

  JA中山支所から南へ50m、
  中山用水に架かる橋(新田橋?)の
  右岸橋詰に祀られている。
  脇の道は川越松山往還である。
  天保十三年(1842)春建立。
  幅24cm、奥行き15cm、高さ62cmの
  小さな塔である。
  正面に石橋供養塔と刻まれているが、
  風化と磨耗が激しく、[供養]の部分は
  判読が困難だ。右側面は状態が良く、
  建立年がはっきりと読み取れる。
  なお、左側面には願主や世話人、
  講中などの関係者が記されることが
  多いのだが、この供養塔には
  何も刻まれていないようだ。

   石橋供養助録佛
  石橋供養助録佛 長楽用水(左岸)
  比企郡川島町正直、潮音寺

  梅ノ木、上小見野、北園部との境界、
  長楽用水の左岸に位置する潮音寺の
  境内に祀られている。潮音寺は
  正直観音、比企西国札所七番の古刹。
  寛保元年(1741)十二月建立。
  幅28cm、奥行き22cm、高さ152cm
  正面に碑銘、建立年と共に
  堀合村講中
 願主 一如全真。
  この堀合村とは、現在の川島町の
  どこなのかは不明である。
  左右の側面には村役人と思われる、
  人物名の下に近隣の村々の名が
  40数村も記されている。右側面の村は
  現在は東松山市に属し、左側面の村は
  川島町に属す。これらの村は石橋供養仏の
  建立だけでなく、石橋の建設に協力したこと、
  石橋が東松山と川島を結ぶ重要な街道に
  設けられたこと、などが推測できる。

 大乗妙典五十部(石橋七通供養)
 大乗妙典五十部(石橋七通供養)
 川島町上小見野 
市野川(右岸)

 市野川大橋(市野川、広域農道)の
 右岸にある安楽寺の参道入口に
 もう一基の地蔵と共に祀られている。
 延享元年(1744)十一月建立。
 頂部に地蔵の坐像が置かれ、高さは
 163cm。台座の右側面に三界萬霊、
 左側面には石橋七通供養。
 村へ悪病や禍が入り込むのを防ぐ、
 フセギ(結界)としての役割があったの
 だろう。

   橋供養
  橋供養 荒川(右岸)
  比企郡川島町上大屋敷

  JA出丸支所から東へ200m、県道
  339号線の交差点、小島屋の前。
  正徳二年(1712)十一月建立。
  高さ127cm、幅49cm。祠の中に
  収められ地蔵札が貼られ、繭玉などの
  供え物が施されている。
  正面に大屋敷村 橋供養
  施主 堀側十人 願主 善心

   延命地蔵
  延命地蔵 荒川(河川敷)
  比企郡川島町山ケ谷戸


  太郎右衛門橋の右岸橋詰から東へ300m、
  荒川の河川敷内に祠に入れられ祀られている。
  すぐ脇には旧荒川の跡が残っている。
  大正十年(1921)七月再建。高さ124cm、
  幅45cm。川島の石仏伝承、p.14によれば、
  この地蔵は享保五年(1720)に石橋供養として
  祀られたのが起源だという。石橋の架橋は
  報恩寺と西光院の住職が勧化し、資金は
  川島領の33村、足立郡の7村が工面した。

 石橋再建立
  石橋再建立
  比企郡川島町牛ケ谷戸


  県道12号線の東、表との境界、
  農業用水路の橋詰に建つ馬頭観音。
  用水路の橋は明治35年(1902)竣工の
  
石橋である。
  天保三年(1832)四月建立。
  武州比企郡牛ケ谷戸村
  地上高137cm(うち台座56cm)、
  幅36cm、奥36cm。台座の右面に
  石橋再建立、正面に寄付 近村中
 

(補足)川島町に存在した石橋

 武蔵国郡村誌の比企郡(6巻)から、現在の川島町の区域に存在した石橋を集計したのが、
 下記の表である。郡村誌は明治9年の調査を基に編纂された。標目数が多いうえに記述も詳細で、
 極めて優れた書である。しかし、あくまでも村誌であり橋梁の悉皆調査書ではない。
 実際に存在した石橋の数は、下記の集計(合計56基)よりも、もっと多かったはずである。

村名 橋名 記述内容 ページ
曲師村 村道に属し村の西北 用水の上流に架す 長五尺巾四尺 38
上狢村 村道に属し村の西方 用水の上流に架す 長七尺巾二尺 43
前橋の下にあり 長七尺巾三尺  
村道に属し村の中央 悪水の中流に架す 長二間巾七尺  
三保の谷宿 中島橋 村道に属し村の中央 用水の中流に架す 長八尺巾七尺 51
上宿橋 村道に属し 前橋(中島橋)の下に架す 長六尺巾六尺  
表村 餓鬼塚橋 川越道に属し村の西方 用水の上流に架す 長四尺巾三尺 56
吉原村 村道に属し村の北方 用水の下流に架す 長七尺巾六尺 60
牛ヶ谷戸村 寺前橋 鴻巣道に属し村の辰の方 長楽用水に架す 長七尺巾七尺 63
牛谷前橋 鴻巣道に属し村の東方 長楽用水の下流に架す 長六尺巾六尺  
姥作橋 耕作道に属し村の西方 長楽用水の下流に架す 長五尺巾五尺  
富田橋 耕作道に属し村の西方 長楽用水の下流に架す 長五尺巾五尺  
柄貝橋 耕作道に属し村の西方 長楽用水の下流に架す 長五尺巾四尺  
宮前村 真橋 村道に属し村の西方 悪水の下流に架す 長八尺五寸巾四尺五寸 66
一番橋 村道に属し村の東方 裏堀の中流に架す 長五尺二寸巾五尺二寸  
二番橋 村道に属し村の南方 根の川の上流に架す 長六尺一寸巾五尺五寸 67
三番橋 村道に属し村の南方 新堀の上流に架す 長七尺九寸巾六尺七寸  
蔵脊戸橋 村道に属し村の南方 前山才用水の中流に架す 長五尺八寸巾五尺四寸  
溜屋橋 村道に属し村の南方 新堀の中流に架す 長六尺五寸巾五尺二寸  
七人切橋 村道に属し村の東方 新堀の下流に架す 長三尺五寸巾三尺七寸  
沖の前橋 村道に属し村の南方 根の川の中流に架す 長三尺五寸巾五尺一寸  
不動橋 村道に属し村の東方 根の川の下流に架す 長五尺三寸巾四尺三寸  
次ぎ橋 村道に属し村の東方 根の川の枝流に架す 長三尺五寸巾五尺五寸  
作左衛門前橋 村道に属し村の東方 根の川の枝流に架す 長三尺五寸巾四尺八寸  
宮橋 村道に属し村の東方 裏堀の下流に架す 長三尺八寸巾四尺八寸  
豆腐屋前橋 村道に属し村の南方 西裏用水の上流に架す 長四尺二寸巾四尺八寸  
西裏橋 村道に属し村の西方 西裏用水の中流に架す 長四尺三寸巾五尺  
竹の内橋 村道に属し村の北方 西裏用水の下流に架す 長三尺六寸巾五尺  
西大裏橋 村道に属し村の北方 西裏堀の枝流に架す 長三尺六寸巾五尺  
紫竹村 西裏橋 村道に属し村の西方 用水の上流に架す 長七尺巾四尺五寸 69
与兵衛橋 村道に属し村の西方 悪水の上流に架す 長九尺巾五尺  
角泉村 端戸橋 村道に属し村の西方 用水の上流に架す 長六尺巾五尺 74
八幡橋 村道に属し村の西方 用水の上流に架す 長六尺巾四尺  
愛宕橋 村道に属し村の艮の方 用水の下流に架す 長五尺巾四尺  
田成橋 村道に属し村の艮の方 用水の下流に架す 長六尺巾五尺  
新道橋 村道に属し村の北方 用水の下流に架す 長五尺巾四尺 75
飯島村 野道に属し村の北方 用水の下流に架す 長三尺巾三尺 79
平沼村 細郷橋 川越道に属し村の西方 用水の上流に架す 長八尺巾六尺 82
三ヶ谷戸橋 用水に架して前橋(細郷橋)の下にあり 長五尺巾五尺  
樋沢橋 川越道に属し 悪水の中流に架す 長八尺巾七尺  
畑中村 川越道に属す村の北方 用水の中程に架す 長一間巾五尺 85
上八つ林村 水源橋 川越道に属し村の西方 用水の上流に架す 長一間巾五尺 90
丸の橋 川越道に属し村の西方 用水の下流に架す 長一間巾五尺  
大筒橋 川越道に属し村の南方 用水の下流に架す 長一間巾五尺  
下八つ林村 榎町橋 耕作道に属し村の西方 用水の上流に架す 長四尺巾三尺 92
裏側橋 村道に属し村の北方 用水の下流に架す 長四尺五寸巾三尺五寸  
弁才橋 村道に属し村の中央 用水の上流に架す 長一間巾五尺  
下橋 村道に属し村の東方 用水の下流に架す 長四尺五寸巾四尺  
北園部村 村道に属し村の中央 八つ林堀の中流に架す 長二間巾六尺 100
鳥羽井村 樋詰橋 村道に属し村の西方 用水の上流に架す 長六尺巾四尺 117
鳥居橋 村道に属し村の西方 用水の上流に架す 長六尺巾四尺  
鳥尾橋 村道に属し村の東方 用水の中流に架す 長六尺巾四尺  
鳥羽井新田 川越道に属す村の東方 悪水堀の下流に架す 長七尺巾六尺 120
正直村 堀合橋 上尾道に属し村の南方 小見野用水の下流に架す 長一丈巾六尺 129
二枚橋 坂戸道に属し村の南方 前橋(堀合橋)の上に架す 長六尺巾四尺  
中山村 戸守前橋 川越道に属し村の西方 用水の上流に架す 長三尺巾二間 137

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