石橋供養塔 (北葛飾郡杉戸町)_  埼玉県の橋供養碑


 石橋
 
石橋 大膳堀(左岸)
 埼玉県北葛飾郡杉戸町下高野

 厳島神社の鳥居脇にある。写真の
 奥の道路は国道4号線(日光街道)。
 嘉永二年(1849)六月建立。
 高さ57cm、幅20cm、奥行き13cm。
 正面に石橋
  江戸新吉原町松島屋
 杉戸屋。左側面には世話人が二名。
 杉戸宿出身の江戸の大店が地元の
 厳島神社に神橋(石橋)を寄進した
 ものであろうか。塔の脇には石橋の
 欄干と桁だったと思われる石材が
 並べられている。
   石橋三箇所供養塔
  石橋三箇所供養塔
  
南側用水、北葛飾郡杉戸町杉戸四丁目

  愛宕神社の境内、北東側に天保十三年の
  光明真言供養塔と共に祀られている。
  石橋供養と題された面が脇の市道に
  向いているが、この道路は南側用水路の
  跡地(現在は暗渠となっている)である。
  宝暦六年(1756)五月建立。
  37cm角柱(駒型)で高さは台座を含めて
  100cm。正面に天下泰平 五穀豊穣
  武州葛飾郡幸手領杉戸町 願主
  ?覚浄世。左側面には熊野三社大権現
  台座には40数名の名前(氏名)が
  記されている。
   地蔵大菩薩 石橋三所供養塔
   地蔵大菩薩 石橋三所供養塔
   
安戸落(左岸)、埼玉県北葛飾郡
   杉戸町佐左衛門(さざえもん)

   松田寺の境内にある。地蔵菩薩と
   橋供養碑を兼ねた文字塔。
   正面上部に種子(地蔵を表すカ)。
   寛政十二年(1800)二月建立。
   武州葛飾郡幸手領 佐左右門村
   願主
 松田寺 丈英
   村内の三箇所に石橋を架けたさいに
   僧侶が願主となり、それらを供養した碑である。
   なお、佐左衛門という地名は、この地を
   開拓した松田佐左衛門に由来する。

(補足)杉戸町に存在した石橋
 武蔵国郡村誌の14、15巻(葛飾郡)から、現在の杉戸町の区域に存在した石橋を集計したのが、
 下記の表である。郡村誌は明治9年の調査を基に編纂された。標目数が多いうえに記述も詳細で、
 極めて優れた書である。しかし、あくまでも村誌であり橋梁の悉皆調査書ではない。
 実際に存在した石橋の数は、下記の集計(合計9基)よりも、もっと多かったはずである。

村名 橋名 記述内容 ページ
下高野村 下の橋 陸羽街道に属し村の東方 稲荷落の上流に架す 長九尺巾三尺 271
上の橋 陸羽街道に属し村の東方 谷落の上流に架す 長七尺巾二間八寸  
茨島村 大石橋 陸羽街道に属し村の北方 伊勢堀の中流に架す 長二間巾二間 284
大島村 石橋 里道に属し村の西方 用水に架す 長七尺巾四尺 289
大塚村 障子合橋 里道に属し村の北方 北側用水の下流に架す 長七尺巾四尺 322
並塚村 石橋 杉戸道に属し村の東方 北側用水の下流に架す 長二間巾五尺 329
佐左衛門村 めつかい橋 幸手道に属し村の中央 図書落の中流に架す 長一間三尺巾六尺 336
下橋 幸手道に属し村の南方 用水の中流に架す 長一間三尺巾六尺  
深輪村 橋本橋 村の西北端 用水の上流に架す 長二間巾五尺 29

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