続々・水辺の神様 (その17)_ | 続々・水辺の神様の一覧 |
和田川の周辺
↑地蔵(道標) 和田川(左岸) 埼玉県大里郡江南町小江川 弘化三年(1846)四月、小江川念佛講中 県道11号線の東側、江南町板井と小江川の境界の 和田川の左岸に祀られている。 夜泣き地蔵と呼ばれているそうだ。 台座は寄居や熊谷への道標を兼ねる。 高さ106cm(台24cmを含む)、幅38cm |
地蔵(道標) 和田川(左岸) 大里郡江南町柴 寛延四年(1751)一月 県道11号と県道140号の交差点、 覆屋内。高120cm(台17cm), 幅34cm,奥20cm 正面:(右)右 者ち方(鉢形)道 (左)左 小川道 |
馬頭観音(道標) 大里郡江南町柴 天明九年(1789)一月 ←の地蔵(道標)と一緒の覆屋内 高86cm(台19cm),幅28cm,奥20cm 台正面:(右)右/よりゐ/いま市 (左)左/小川道 |
庚申塔(三猿) 和田川(左岸) 大里郡江南町須賀広、釈迦寺 釈迦寺の参道入口に青面金剛 (建立年判読不可)と共にある。 延宝四年(1676)霜月 南無青面金剛守護所 武州男衾郡 須賀広村。上部に種子、下部には 12人の氏名 高さ115cm、幅36cm、奥行き31cm |
石灯篭(石尊) 和田川(右岸) 比企郡滑川町土塩(つちしお) (薬王子)淡州神社の北、町道脇 安政五年(1858)六月 奉納石尊大権現 大天狗/小天狗 土塩講中 地上高131cm 笠石落下、 鉄線で補修 |
庚申塔(道標) 和田川(右岸) 比企郡滑川町土塩 (岩井口)薬王子集会所の東、町道の 脇(江南町との境)。単独で状態は良 安政六年(1859)三月 種子、大青面宮 土塩村講中 地上高122cm(台31cm),幅59cm,奥42cm 台右面(右)右/小/川/道 |
弁才天 和田川(右岸) 比企郡滑川町土塩、明照寺 宝暦五年(1755)霜月 左側面に武州比企郡土塩村 台座に12名の名、頂部にソ(聖観音) の種子。明照寺は和田川の右岸から 300m南に位置する。天和年間 (1680年頃)に文殊寺から離壇したと 伝えられている。この弁才天は 境内脇の池の跡地に祀られている。 |
馬頭観音(道標) 和田川(右岸) 比企郡滑川町土塩 (広地家)町道の脇に単独、状態は良 文化六年(1809)三月 地上高57cm,幅21cm,奥17cm 正面頂部に馬頭冠像。 正面:此方 乃ハらもん寿(野原文殊)道 右面:此方 非きく王ん於ん(比企観音)道 左面:此方 やきうみち やきうとは東松山市の箭弓稲荷神社。 |
寒念仏供養塔 和田川(左岸) 埼玉県熊谷市楊井(やぎい) 橋の上流左岸の祠内 宝暦十年(1760)十一月 和田村中 |
2体の弁才天 和田川(左岸)、埼玉県熊谷市楊井 薬師寺の参道に数多くの石仏と 共に祀られている。 左が文久元年(1861)建立、 右が文化三年(1806) 和田村中 台座には20数人の氏名。 |
庚申塔と弁才天 和田川(左岸) これらも薬師寺の参道にある。 弁才天は寛政九年(1797)二月建立 庚申塔は安永八年(1779)十月建立 側面が石橋供養塔を兼ねている。 |
庚申塔と道祖神 和田川(右岸) 埼玉県熊谷市楊井 森林公園北口への進入路が、和田川を跨ぐ地点の 西側、路傍に祀られている。 庚申塔:文化九年(1812)十一月 台座に棒を持つ1猿?と22人の氏名。 道祖神:享和二年(1802)霜月 武州大里郡和田村中 高さ58cm、幅23cm |
戻る:[ノスタルジックな]
続々・水辺の神様:[その1][その2][その3][その3a][その4][その5][その6][その7][その7a][その8][その9][その10]
[その10a][その11][その11a][その12][その13][その13a][その14][その15][その15a][その15b][その16][その16a]
[その17][その18][その18a][その18b][その18c][その19][その20][その21][その22]