続々・水辺の神様 (その4)_ 続々・水辺の神様の一覧

都幾川(その3)

 馬頭観音
 馬頭観音 都幾川(右岸)
 埼玉県東松山市西本宿(にしもとじゅく)
 
三原樋管(煉瓦造り、明治35年竣工)から
 100m下流の右岸堤防の裾(堤内)に祀られている。
 馬頭観音も水辺で良く見られる石仏である。
 川べりには馬の墓場が多かったことと
 関係があるのだろう。
 明治二十四年(1891)十一月建立。
 願主 鷲順利八
  石灯篭(雨降山)
 石灯篭(雨降山) 都幾川(右岸)
 東松山市西本宿 後元宿集会所
 安政六年(1859)六月
 地上高183cm 雨降山なので、
 石尊(大山阿夫利神社)
  九頭龍大神
  九頭龍大神 都幾川(左岸、堤防上)
  東松山市上押垂(かみおしだり)
  左岸堤防敷に見える沼は押堀
  (おっぽり、切れ所)。明治43年8月の
  大洪水で堤防が決壊した時にできた。
  明治四十三年(1910)九月
  上押垂
 下青鳥 七十九翁武敬

 辯財天
 辯財天 都幾川(左岸)
 東松山市下青鳥、天神社
 左岸堤防から東へ200mの地点、
 村社 天神社(天満宮)の敷地に
 祀られている。辯財天の脇には
 上用水堰用水が流れている。
 寛政十一年(1799) 下青鳥村講中

  
弁財天
 辯財天 都幾川(左岸)
 東松山市上野本一丁目50
 東武東上線の橋梁の東側にある。
 現在も信仰されているようで、
 供え物が施されている。
 宝暦十一年(1761)十一月建立。
 武州比企郡上野本邑 講中十六人

  地蔵(道標)
  地蔵(道標) 都幾川(左岸)
  東松山市上野本 国道の[下野本]交差点南東
  宝暦六年(1756)
  高146cm(台50cm),幅25cm,奥15cm
  台右面(右)右/よしみく王んおんミち
  台左面(左)松山岩處のみち

 八王子道の道標と拝礼供養塔
 八王子道の道標と拝礼供養塔 都幾川(右岸)
 東松山市高坂 高坂一丁目交差点(国道407号
 バイパス)の南側、都幾川リバーサイドパークの
 入口付近にある。ここは、かつて八王子道の渡し場。
 八王子道の道標: 安永十年(1781)正月
   左 ちちぶ
 ひき いわどの 
   右 日光
 よしみ いわどの 
   高さ111cm、幅29cm、奥25cm
 拝礼供養塔: 嘉永七年(1854)四月
  奉納経拝礼供養塔 高坂駅上町 神田与一
  側面に左
 小川 八幡山 道、右 松山熊谷行田 
  裏面に左
 坂戸 渡船 川越 江戸 
  高さ115cm、幅33cm、奥22cm

  石灯篭(石尊宮)
 石灯篭(石尊宮) 都幾川(右岸)
 東松山早俣(はやまた)
 高野橋(都幾川)の右岸橋詰
 天保十年(1839)六月
 地上高171cm 最下段の台高18cm
 惣村中
 早俣の渡しの跡地近傍

  幟織姫大神
  幟織姫大神 
都幾川(右岸)、小剣神社
  東松山市正代(しょうだい)
  安政五年(1858)六月建立。
  幟織姫(のぼりおりひめ)は本殿の脇に
  祀られている。正面に糸巻を持った
  織姫の像、側面には施主と世話人名。
  小剣神社(村社)の祭神は日本武尊。

 水神?
 水神? 都幾川(右岸)、小剣神社
 東松山市正代
 本殿を挟んで、幟織姫大神と対峙した形で
 祀られている。台座の前面には15人の
 童子が浮き彫りにされ、側面には22名の
 名前が刻まれている。

   九頭龍大権現
   九頭龍大権現 都幾川(左岸、堤防上)
   比企郡川島町長楽(ながらく)
   早俣橋から100m上流の左岸堤防上に
   祀られている。高さ59cm、幅19cm。
   慶応?年八月建立 願主 長楽村中
   世話人 ??
   この付近には橋が架けられるまで、
   早俣の渡し(渡船)があった。

   
九頭龍大権現
   九頭龍大権現 都幾川(左岸、堤防上)
   比企郡川島町長楽(ながらく)
   長楽落合橋(冠水橋)から500m上流の
   左岸堤防上に祀られている。
   ←の九頭龍と様式と寸法が同じなので
   2体は同時に建立されたと思われる。
   この付近には橋が架けられるまで、
   落合の渡し(渡船)があった。

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