銘板の特徴
煉瓦樋管には様々な数・形式の銘板が付けられている。銘板とは施設名、竣工年、建設経緯、
関係者名等を記したものである。明治から大正時代には銘板という呼称は存在せず、
単に樋名及年月日記入石などと呼ばれていた。
現存する煉瓦樋管に付けられた銘板は、施設名と竣工年だけの素朴なものが多い。
建設経緯や関係者名まで記された銘板(一種の竣功記念碑)が付けられた樋管の
現存数は7基と少ないが、そのうちの4基は北葛飾郡に建設された樋管である。
北葛飾郡ではそういう様式が好まれていたのであろうか。
銘板は後世に工事の記録を伝える一番直接的な手法であるが、銘板に刻まれた文字や文章は、
工事の完了前(煉瓦を積み終える前)に記されたものなので、工事中に施設名が
変更されたり(頻繁にはないが)、工事が遅れたりすると、当初の予定とは食い違ったものとなる。
煉瓦樋門の銘板は躯体の一部であり、面壁の中に埋め込まれた形式なので、
現代の樋門で見かける鋼製のプレートのように工事完了後に付けることは不可能であった。
工事の遅延は多々あることなので、銘板に記された竣功日は実際の竣功日ではなく、
予定竣功日が記されていることが多い。北美圦樋(志木市、新河岸川、1899年)のように、
実際の竣工日よりも5ケ月も前の日付が記されている樋門もある。ただしこれはかなり特異な例である。
現存する煉瓦樋管に付けられた銘板は、どれも石造りである。石材は安山岩系の灰色っぽいものが
ほとんどだが、万年堰(宮代町、備前前堀川、1902年)や末田用水圦樋(岩槻市、元荒川、1915年)、
男沼樋門(妻沼町、利根川、1917年)のように花崗岩製の例もある。
金属製の銘板は埼玉県の樋管では珍しいが、見沼代用水元圦(真鍮製)、小針落伏越(現在は紛失)の
例がある。銘板に記された文字の書体はほとんどが楷書体だが、篆書体(横見堰、岩瀬悪水圦)や
隷書体(北河原用水元圦、古笊田堰)、草書体(北美圦樋、二郷半領不動堀樋)も見られる。
客観的な楷書体に比べ、篆書体や隷書体は厳かな印象となる
なお、施設名の付け方は地区名(旧字名)+施設の機能が最も多く、
次いで河川名(用悪水路)+施設の機能となっている。例えば落合地区に
設けられた門樋は落合門樋であり、見沼代用水の取水口は見沼代用水元圦である。
江戸時代からの旧名を、そのまま踏襲した例は取水堰を除くと、あまり多くない。
これは施設の機能名が、近代的な呼称である樋管や樋門となっているからである。
ただし、千貫樋や三間樋のように人口に膾炙したものは、旧来の施設名が採用されている。
銘板の取り付け方には、原則がある。(当然、破られることもある)
施設名の銘板が付けられた側が、正面(建築用語ならファサード)である。
正面にはゲートも付けられていて、正面が呑口であれば取水樋管、吐口なら排水樋管ということになる。
これは、当該樋管が取水用か排水用かわからない時の判別にも使える。(筆者の経験による)
銘板の数で分類
数 |
該当する樋管 | |
0 | 前吐樋管(東松山市、都幾川、1903)、円、刻印煉瓦 | |
1 | 甚左衛門堰枠(草加市、伝右川
、1894)、2連アーチ 、塔、鋸状装飾、非・赤煉瓦 四箇村水閘(春日部市、中川、1896)、アーチ 、鋸状装飾 三原樋管(東松山市、都幾川、1902)、円 (→注3) 杣殿樋管(行田市〜熊谷市、忍川、1903)、箱、塔 皿田樋管(蓮田市、元荒川、1903)、円 阻水エン塔(吉見町、大沼、1904)、円、取水塔、刻印煉瓦 新久保用水樋管(菖蒲町、備前堀川、1915)、箱、塔、刻印煉瓦 福川樋門(行田市、福川、1920)、3連アーチ、銘板のみ残存 |
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2 | 多数 | |
3 | 大島新田関枠(杉戸町、安戸落、1897)、3門、渡り石(施設名と竣工年銘板)は撤去、銘板に設計者名 笠原堰(鴻巣市、元荒川、1902)、5門、撤去、側壁と水切り残存、銘板に設計者名 弐郷半領猿又閘門(東京都葛飾区、大場川、1909)、4連アーチ 二郷半領用水逃樋(三郷市、第二大場川、1912)、アーチ 二郷半領不動堀樋(三郷市、第二大場川、1914)、アーチ 小針落伏越(行田市〜川里町、小針落、1914)、アーチ、刻印煉瓦 三間樋(騎西町、新川用水(見沼代用水)、1914)、3連アーチ、地下に埋没 |
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(注1)銘板の基本は、施設名と竣工年がそれぞれ1つずつである。3つあるものは、これに竣工碑 (建設経緯や関係者名が記されている)が加えられている。 (注2)倉松落大口逆除(春日部市、旧倉松落 、1891、4連アーチ、鋸状装飾 、非・赤煉瓦)には、 銘板がない。傍らに竣工石碑が残っている程の施設であるので、銘板は紛失したものと思われる。 (注3)三原樋管にも建設当時の銘板がないが、樋管の構造からゲート巻き上げ機の付替え時に外されたと思われる。 (注4)天神沼樋にも建設当初の銘板がないが、樋管の改造時に外されたと思われる。 |
形式で分類
形式 | 区分 | 銘板の例 | 該当する樋管 |
独立 | 一枚の板 | 銘板の文字が横書きで、右から左へと刻まれているもの。 (一行に一文字を使った縦書きとも云える) 多数 |
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一文字毎 | 施設名の銘板が一文字毎であるもの。 弐郷半領猿又閘門は、竣工年も一文字毎である。 小剣樋管は二文字毎(現存しないが、小剣と樋管だったと推定される) 五ヶ門樋(庄和町、中川 、1892) 、アーチ、歯状装飾 、非・赤煉瓦 千貫樋(さいたま市、荒川(旧堤)、1904)、2連アーチ 弐郷半領猿又閘門(東京都葛飾区、大場川、1909)、4連アーチ 三軒家樋管(川越市、新河岸川放水路、1910) 、2連アーチ 小剣樋管(東松山市、都幾川、1914)、箱、塔 |
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縦書き | 銘板の文字が縦書きのもの。 榎戸堰組合用水樋管以外は、横長の銘板に施設名を横書き。 竣工年のみが縦書き(銘板が小さいためスペースが無いためか?) 榎戸堰組合用水樋管(吹上町、元荒川、1901)、アーチ、塔 永傳樋管(東松山市、都幾川、1901)、箱 竣工年が縦書き 杣殿樋管(行田市〜熊谷市、忍川、1903)、箱、塔 阻水エン塔(吉見町、大沼、1904)、円、取水塔、刻印煉瓦 |
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中間 | 一枚板 + 甲蓋 |
施設名は独立した銘板(一枚板)だが、 竣工年は甲蓋(箱型樋管の天板)に刻まれたもの。 荒川水系にのみ、現存するのが特徴。 北美圦樋(志木市、新河岸川(旧堤)、1899)、箱、変則積み 新田圦樋(志木市、新河岸川(旧堤)、1900)、箱、変則積み 前樋管(東松山市、都幾川、1903)、箱、変則積み、刻印煉瓦 四反田樋管(東松山市、都幾川、1905)、箱 |
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兼用 | 甲蓋 | 施設名と竣工年が、甲蓋に刻まれたもの。 この方式だと、施設名や竣工年がゲートで隠されてしまうので、 銘板としての効果は薄い。 荒川水系にのみ、現存するのが特徴。 永府門樋(吉見町、市野川用水、1901) 2連の箱、鋸状装飾 矢来門樋(東松山市、都幾川、1903)、箱、変則積み、刻印煉瓦 京塚樋管(川島町、長楽用水、1903)、箱、塔 山形樋門(富士見市、新河岸川(旧堤)、1904)、箱 |
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堰 | 堰の天蓋(通路兼操作台)の側面に施設名と竣工年が刻まれたもの。 横見堰(大里町、和田吉野川、1900)、全面改修、堰柱、銘板残存 万年堰(宮代町、備前前堀川、1902)、全面改修、銘板残存 秋葉前堰(熊谷市、1903)、笠石、側壁が曲面 沼口門樋(川越市、伊佐沼、1905) 古笊田堰(久喜市、備前堀川、1909) 庄兵衛堰枠(白岡町、庄兵衛堀川、1907)、埋没、刻印煉瓦 |
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門柱 笠石 |
門柱や笠石の側面に施設名と竣工年が刻まれたもの。 米ノ谷樋管?(杉戸町、中川、1897)、箱、変則積み 鎌田樋管(東松山市、九十九川、1899)、円 竣工年が縦書き 松原堰(行田市、1901)、埋没、側壁が曲面 堂前堰(行田市、1901)、埋没、側壁が曲面 久保樋(行田市、1901)、箱、銘板とゲート巻き上げ台残存 笠原樋(鴻巣市、元荒川、1905) 坂東樋管?(吉見町、横見川、1905)、箱、笠石 |
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