石橋供養塔 (鶴ヶ島市)_ | 埼玉県の橋供養碑 |
石橋二十ヶ所供養塔 埼玉県鶴ヶ島市三ツ木179付近 圏央道の三ツ木高架橋の 東側の側道脇に、馬頭観音 (寛政八年)と一緒に 祠の中に祀られている。 小さめの塔で高さは60cm。 文政三年(1820)三月建立。 高麗郡三ッ木村中 願主名は記されていない。 |
石橋二拾ヶ所供養塔 鶴ヶ島市太田ヶ谷465付近 満福寺の西側の道路脇に馬頭観音(安永五年)等と 共に祀られている。石材は砂岩系のようである。 道標を兼ねていて、正面に東 川越道、南 江戸道、 右面に北 小川道、坂戸道、背面に西 子のごんげん道などとある。 正面には舟に乗った双体道祖神?の像が 彫られている。非常に珍しい造形である。 寛政二年(1790)八月建立。 満福寺拾四世話△願主 應△ 内野並 助力太田ヶ谷村中 |
(補足)鶴ヶ島市に存在した石橋
武蔵国郡村誌の高麗郡(5巻)から、現在の鶴ヶ島市の区域に存在した石橋を集計したのが、
下記の表である。郡村誌は明治9年の調査を基に編纂された。標目数が多いうえに記述も詳細で、
極めて優れた書である。しかし、あくまでも村誌であり橋梁の悉皆調査書ではない。
実際に存在した石橋の数は、下記の集計(合計4基)よりも、もっと多かったはずである。
村名 | 橋名 | 記述内容 | ページ |
三つ木村 | 泉橋 | 川越街道に属し村の東北 用水の下流に架す 長一間五尺横巾一間五尺 | 231 |
脚折村 | 和田橋 | 川越街道に属し村の西方 用悪水の上流に架す 長一間巾一間 | 403 |
北口橋 | 日光往還に属し村の北方 用悪水の中流に架す 長一間巾七尺 | ||
高倉村 | 鼠橋 | 村道に属し村の南方 飯盛川の上流に架す 長九尺巾六尺 | 413 |
鶴ヶ島市の前身は江戸時代からの14村が合併して、明治22年に誕生した高麗郡鶴ヶ島村である。
その後、昭和41年(1966)に入間郡鶴ヶ島町、平成3年(1991)には鶴ヶ島市となった。
鶴ヶ島市は現在の市域が江戸時代からほとんど変化していない、極めて珍しい自治体である。
なお、大正末期に設置された鶴ヶ島村の道路元標が、第一小学校の付近に今も残っている。
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