石橋供養塔 (北本市)_ | 埼玉県の橋供養碑 |
石?橋供養 埼玉県北本市東間一丁目、浅間神社 JR高崎線の北本駅から北へ400mの地点、 浅間神社の本殿への石段の脇にある。 表面の磨耗が酷く、文字の判読が困難なため、 これが確かに石橋供養塔だとは断言できない。 浅間神社の石段供養である可能性の方が 高いかもしれない。 もっとも下表によれば、この付近(旧東間村)には 堅堀が中山道を横断する地点に中谷橋という石橋が 架かっていた記録も残っている。中山道の路線は 江戸時代初頭には、ここから東へ100mの付近を通っていた。 鴻巣市小松四丁目には、馬室原一里塚の跡がある。 享保八年(1723)五月建立。 奉建立 御?所 石?供養 高さ77cm、幅30cm、厚さ20cm 東本山 武州足立郡東間村 上部には種子が刻まれているように見える。 下部には7名の名前 |
|
橋供養塔 埼玉県北本市石戸宿八丁目、薬師堂 城ヶ谷堤の北端、横田薬師堂の境内にある。 この付近の荒川の左岸堤防沿いは 古くからの街道であり、鎌倉古道と 推測される古道も現存する。 その周辺には道しるべを兼ねた石仏が 数多く残っている。 享保五年(1720)七月建立。 建立橋供養観世自在尊 馬頭観音立像(1面8手) 頂部が破損している。 地上高84cm(うち台石18cm),幅31cm,奥14cm |
(補足)北本市に存在した石橋
武蔵国郡村誌の3巻(足立郡)から、現在の北本市の区域に存在した石橋を集計したのが、
下記の表である。郡村誌は明治9年の調査を基に編纂された。標目数が多いうえに記述も詳細で、
極めて優れた書である。しかし、あくまでも村誌であり橋梁の悉皆調査書ではない。
実際に存在した石橋の数は、下記の集計(合計17基)よりも、もっと多かったはずである。
村名 | 橋名 | 記述内容 | ページ |
古市場村 | 稲荷下橋 | 野道に属し村の北方 谷田用水の中流に架す 長一間巾一間 | 164 |
別所村 | 中橋 | 菖蒲道に属し村の東北 鯉沼落の下流に架す 長二間巾一間 | 167 |
其他用悪水に架する三石橋あり | |||
本宿村 | 並木橋 | 中山道に属し村の北方 茂左衛門堀の上流に架す 長二間一尺二寸巾七尺 | 201 |
橋 | 村道に属し村の西北 茂左衛門堀の中流に架す 長四尺五寸巾四尺二寸 | ||
橋 | 川越道に属し村の西方 茂左衛門堀の下流に架す 長三尺五寸巾四尺 | ||
宮内村 | 堤橋 | 騎西道に属し村の北方 谷田用水の上流に架す 長二間巾一間 | 205 |
初外橋 | 岩槻道に属し村の南方 悪水の上流に架す 長四尺巾五尺 | ||
本村橋 | 岩槻道に属し村の東方 悪水の上流に架す 長四尺巾五尺 | ||
根岸前橋 | 岩槻道に属す村の東方 悪水の上流に架す 長四尺巾五尺 | ||
山中境橋 | 岩槻道に属し村の南方 悪水の上流に架す 長四尺巾五尺 | ||
東間村 | 中谷橋 | 中山道に属し村の西北 堅堀の上流に架す 長一間巾二間一尺 | 208 |
深井村 | 清水橋 | 村道に属す村の北方 谷田堀の上流にあり 長一間巾四尺 | 212 |
丘橋 | 村道に属す村の北方 谷田堀の上流に架す 長七尺巾五尺 | ||
本蔵寺橋 | 村道に属す村の東方 谷田堀の中流に架す 長六尺巾四尺 |
戻る:[埼玉県の橋供養碑]へ
橋供養塔:[北川辺町][大利根町][加須市][羽生市][行田市][騎西町]
[菖蒲町][久喜市][蓮田市][白岡町][宮代町][岩槻市][春日部市][越谷市]
[鷲宮町][幸手市][杉戸町][庄和町][松伏町][吉川市]
[鴻巣市][北本市][桶川市][上尾市][さいたま市][朝霞市][和光市][新座市][戸田市]
[熊谷市][妻沼町][大里町][江南町][寄居町][深谷市][岡部町] [上里町] [小川町][滑川町][東松山市][吉見町][川島町]
[坂戸市][毛呂山町][越生町][鶴ヶ島市][日高市][飯能市][狭山市][入間市][所沢市][川越市][ふじみ野市][富士見市][志木市]