石橋供養塔 (桶川市)_  埼玉県の橋供養碑


 石橋供養所
 石橋供養所 荒川(左岸)
 埼玉県桶川市川田谷、雙龍堂

 ホンダエアポートの対岸、荒川の
 左岸に位置する雙龍堂の入口にある。
 荒川の左岸に祀られているが、
 供養した石橋は荒川ではなく、
 
江川(上尾市領家との境を流れる
 小河川)に架けられていたのだろう。
 延享元年(1744)六月建立。
 高さ41cm、幅30cm、厚さ17cm
 正面に松原村、樋詰村、砂ヶ谷戸村
 など周辺の7村、願主3名、賢應法師。
  石橋供養尊
  石橋供養尊 荒川(左岸)
  埼玉県桶川市川田谷、雙龍堂

  雙龍堂の入口には庚申塔など数基の
  石仏がある。この供養塔もそこに
  祀られている。元来は路傍に
  設置されていたものが、
  ←の石橋供養所などと共に
  ここへ移築された可能性が高い。
  享保十四年(1729)二月建立。
  高さ45cm、幅21cm
  正面下部に勧化 河田谷 上下村
  頂部には種子があるようだが、
  破損が酷いので、判読できない。
  石橋供養所
  石橋供養所 荒川(左岸)
  埼玉県桶川市川田谷、氷川神社

  雙龍堂から南東へ200mの氷川神社にある。
  雙龍堂から氷川神社へと抜ける街道は
  中山道の裏道として重要だったようで、
  氷川神社の脇にはあきは大宮道の
  道標(1771年建立)が残っている。
  なお、ここから400m南、荒川に架かる
  樋詰橋は
冠水橋である。
  享保十年(1725)九月建立。
  高さ71cm、幅25cm、厚さ17cm
  願主
 道秀、正面には施の文字が確認できるので、
  施主が記されていたようだ。

(補足)桶川市に存在した石橋
 武蔵国郡村誌の2、3巻(足立郡)から、現在の桶川市の区域に存在した石橋を集計したのが、
 下記の表である。郡村誌は明治9年の調査を基に編纂された。標目数が多いうえに記述も詳細で、
 極めて優れた書である。しかし、あくまでも村誌であり橋梁の悉皆調査書ではない。
 実際に存在した石橋の数は、下記の集計(合計20基)よりも、もっと多かったはずである。

村名 橋名 記述内容 ページ
倉田村 岩槻道に属する石橋二ヶ所野道に属する土橋三ヶ所あり 何れも一間未満にして載するに足らず 454
桶川宿 中山道に属し宿の東南 悪水溝の中流に架す 長九尺巾八尺 3
中山道に属し宿の西北 悪水溝の中流に架す 長九尺巾一丈二尺  
中山道に属し宿の東南 悪水溝の中流に架す 長九尺巾一丈二尺  
中山道に属し宿の西北 悪水溝に架す 長九尺巾八尺  
篠津村 村道に属し村の南方 赤堀川の中流に架す 長二間二尺巾五尺 175
村道に属し村の東方 悪水の下流に架す 長一間巾四尺  
村道に属し村の北方 悪水の上流に架す 長一間巾四尺  
村道に属し村の東方 悪水の下流に架す 長一間巾四尺  
五町台村 村道に属す村の西方 悪水の上流に架す 長五尺巾四尺五寸 178
村道に属す村の中央 悪水の中流に架す 長五尺巾四尺  
村道に属す村の中央 悪水の下流に架す 長五尺巾四尺  
坂田村 大橋 岩槻道に属し村の北方 悪水堀の下流に架す 長二間巾一間二尺 183
加納村 鯉沼落橋 村道に属す村の北方 沼落堀の上流に架す 長三間巾一間 188
後谷橋 村道に属し村の東方 沼落堀の中流に架す 長二間半巾一間  
槐橋 村道に属し村の東方 沼落堀の下流に架す 長二間巾一間  
高埜橋 村道に属し村の東方 高埜堀の下流に架す 長三間巾一間  
弥次郎橋 村道に属し村の北方 弥次郎堀の上流に架す 長一間巾四尺  
畑中橋 村道に属し村の中央 弥次郎堀の上流に架す 長一間一尺巾五尺  

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