石橋供養塔 (南埼玉郡宮代町)_  埼玉県の橋供養碑


 石橋十箇所共再造  石橋十箇所共再造
 埼玉県南埼玉郡宮代町学園台二丁目

 県道85春日部久喜線の[学園台二丁目]交差点内、
 南側の歩道の脇にある。
 宮代町による説明板が併設されている
 これは道標であり、三面には各地の
 地名が記されている。背面には和歌が
 刻んであり、それと共に石橋十箇所共再造とある。
 高さ
140×幅35×厚さ25cm。
 明治八年(1875)六月建立。

 ちなみに、ここから300m北西に位置する、
 身代神社(このしろ)は延喜式内社(延喜式神明帳に
 記載された古社)であり、旧南埼玉郡須賀村の
 総鎮守だった。宮代町の名前は百間村(もんま)の
 総鎮守である姫神社と須賀村の身神社を
 合体させたもの。

 
石橋供養塔
 石橋供養塔
 埼玉県南埼玉郡宮代町西原、郷土資料館に収蔵

 宮代町山崎の笠原沼落の右岸に
 放置されていたものだが、
 現在は宮代町郷土資料館に収蔵されている。
 高さ
60×幅24×厚さ21cm。
 明和四年(1767)十一月建立。
 正面に建立年、奉建立石橋供養塔、
 武州埼玉郡百間領 願主 ??とある。
 左右の側面には勧化村と題し、近隣の36村が記されている。
 村の名前は現在の白岡町、蓮田市、岩槻市、春日部市、
 杉戸町の区域にまで及んでいる。
 勧化とは寄付やお布施のことなので、石橋の建設のために
 広範囲の村々の援助に頼って、資金を工面したことがわかる。
 この石橋が近隣の村々も通行する重要な街道に
 設けられていたことを意味する。

(補足)宮代町に存在した石橋
 武蔵国郡村誌の11巻(埼玉郡)から、現在の宮代町の区域に存在した石橋を集計したのが、
 下記の表である。郡村誌は明治9年の調査を基に編纂された。標目数が多いうえに記述も詳細で、
 極めて優れた書である。しかし、あくまでも村誌であり橋梁の悉皆調査書ではない。
 実際に存在した石橋の数は、下記の集計(合計2基)よりも、もっと多かったはずである

村名 橋名 記述内容 ページ
百間村 笠原落堀橋 岩槻道に属す 笠原落堀の上流に架す 長三間巾七尺 百間西原組に隷す 242
京塚橋 岩槻道に属す 用水堀に架す 長七尺巾五尺 百間金谷原組に隷す  

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