石橋供養塔 (大里郡大里町)_  埼玉県の橋供養碑


 
 日本回國納經供養?
 
和田吉野川(右岸)
 埼玉県大里郡大里町下恩田

 国道407号線の東側50m、
 熊谷市平塚新田との境にある。
 経典供養塔だが、側面には
 宝暦十四年(1764)
 武州大里郡下恩田 願主..
 石橋建立十方檀越施主..と
 記されている。
   馬頭観音(石橋供養)
   馬頭観音(石橋供養) 
通殿川(右岸)
   埼玉県大里郡大里町中曽根

   市田農協の脇、通殿川の管理起点、
   中曽根橋の右岸橋詰にある。
   幅32cm、奥行き23cm、高さ56cm。
   寛政十年(1798)九月建立。
   この塔は馬頭観音だが、石橋供養も
   兼ねる。右側面に、中曽根村
 施主
   塚本??と世話人三名、左側面には
   石橋架橋に助力したと思われる近隣の
   約26村が記されている。
   矼供養
   矼供養(こう
 くよう) 真栄用水(右岸)
   埼玉県大里郡大里町箕輪

   箕輪集会所から西へ100mの交差点脇に、
   二十二夜塔、地蔵、阿天利神社常夜燈と
   共に祀られている。幅32cm、奥行き21cm、
   高さ76cm。寛政十二年(1800)十一月建立。
   この年の干支は庚申。矼(こう)とは
   川の流れを渡るために並べた石のこと。
   高度に並べれば石橋であり、簡略すれば
   飛び石であろう。左側面に当村
 惣村中
   願主2名と世話人1名。

(補足)大里町に存在した石橋
 武蔵国郡村誌の大里郡(9巻)から、現在の大里町の区域に
 存在した石橋を集計したのが、下記の表である。郡村誌は明治9年の調査を基に編纂された。
 標目数が多いうえに記述も詳細で、極めて優れた書である。
 しかし、あくまでも村誌であり橋梁の悉皆調査書ではない。
 実際に存在した石橋の数は、下記の集計(合計4基)よりも、もっと多かったはずである。

村名 橋名 記述内容 ページ
向谷村 松山道に属す 村の坤の方三町十八間 通戸川の下流に架す 長三間巾一間 98
高本村 向谷橋 小川道に属す 村の東方六町 通戸川の下流に架す 長二間巾九尺 101
吉所敷村 吉川橋 松山道に属す 村の南方一町四十六間 三尺用水堀の下流に架す 長一間巾二間 106
中曽根村 中曽根橋 村道に属す 村の北方三十五間 通戸川の上流に架す 長二間巾一間 108

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