石橋供養塔  坂戸市 (その1) その2_  埼玉県の橋供養碑


 石橋供養塔
 石橋供養塔 
越辺川(右岸)
 埼玉県坂戸市赤尾、白山神社

 
赤尾地区は坂戸市の最北端に位置し
 越辺川を挟んで、東松山市早俣、
 川島町長楽と対峙している。
 白山神社の北では越辺川に都幾川が
 合流している。水害が多発した土地柄
 なのか、白山神社には嘉永年間建立の
 
九頭龍大権現が2基も祀られている。
 安永五年(1776)一月建立
 高さ123cm、幅43cm、厚さ12cm。
 正面中央に梵字を配した特異な塔。
 武州入間郡赤尾村中
 願主 秀道
 願主は僧侶だろうか?
   道祖神
   道祖神  越辺川(右岸)
   埼玉県坂戸市島田

   この付近は片柳、石井地区との境界。
   県道256号線の五叉路の北側50m、
   
島田橋へ向かう道路の脇にある。
   この道路は島田橋(越辺川)を渡って、
   東松山市へと抜ける旧街道であり、
   日光脇往還(八王子千人同心道)と
   ほぼ一致する。
   明和八年(1771)建立
   高さ52cm、幅42cm、厚さ8cm。
   正面に、石橋五ヶ所設??
   この石塔は坂戸市唯一の道祖神だと
   されている。
   橋供養塔
   橋供養塔 葛川(左岸) 葛川は
高麗川の支川
   埼玉県坂戸市東和田211付近

   樋口橋(越辺川)の右岸橋詰、吉祥寺の
   南側(東和田集会所)に10数基の石仏と
   共にある。集会所内には石橋の遺構と
   思われる石材も残されている。
   天明六年(1786)一月建立
   高さ45cm、幅24cm、厚さ18cm。
   この塔は供養塔の台座であり、かつては
   上に地蔵が置かれていたという。塔の頂部には
   ダボ穴が残っている。
   左側面に願主2名(女性)、助力4村、
   右側面は道標を兼ねる。志御方とあり、江戸
   (神田周辺)の5つの町店が名を連ねている。

 石橋供養塔
 石橋供養塔 葛川(左岸)
 埼玉県坂戸市東和田211付近

 この供養塔も吉祥寺の南側(東和田
 集会所)に置かれている。色が
 白っぽいのは風化しているのでなく、
 石材の種類が他の塔とは異なるから。
 集会所の脇には実際に石橋に
 使われていた石材も現存する。
 田んぼの用水路に架かっていたそうだ。
 高さ126cm、幅33cm、厚さ20cm。
 享保十年(1725)四月二十七日建立
 種子はアーンク(胎蔵界大日如来)を
 表わす。願主
 深了 助力村中 寄付

   
橋供養塔
   橋供養塔 葛川(左岸)
   埼玉県坂戸市東和田172付近

   吉祥寺から南西へ200m、大室ガーデン
   の脇にある。←の供養塔と同一の
   人々が建立した。享保?年四月建立
   高さ210cm、40cm角と巨大である。
   施主3村
 助力とあり、台座の4面には
   人名(助力)がびっしり記されている。
   唐破風(宝珠付き)の笠石が頂部に
   置かれ、埼玉県の橋供養塔としては、
   最も特異な形態といえる。
   表面と台座の多数の凸凹は風化だけ
   では形成されないと思われる。塔を
   石などで擦る風習が存在したのだろう。

   
奉建立石橋供養塔
   奉建立石橋供養塔 越辺川(右岸)
   埼玉県坂戸市今西66付近

   石今橋(越辺川)の右岸橋詰から200m南、
   石今橋(南)交差点にある。石今橋が架かる
   道路は東松山の岩殿観音へと通じ、人の
   往来が多かったが、 越辺川には明治時代まで
   橋は架かっていなかった。石今橋もつい
   最近まで
冠水橋(沈下橋)だったそうだ。
   この供養塔は付近の用水路に架けられていた、
   石橋を供養したものだろう(越辺川は
   石橋を架けるには幅が広すぎる)。
   安永六年(1777)十二月建立 今西村
 願主 義伝
   高さ67cm、幅18cm、厚さ15cm。
   道標を兼ね、正面に東
 坂戸道、右面に北 くわんおん道
   左面に南
 八王じ道 裏面に西 小川道。

 馬頭観世音石橋供養塔
馬頭観世音石橋供養塔 越辺川(右岸)
 埼玉県坂戸市北浅羽187付近


 万福寺から200m南、ばとうかんと
 呼ばれる小山にある。名称と場所、
 4基の馬頭観音が祀られていること、
 などから、おそらくここは以前は
 馬捨て場だろう。
 天明三年(1783)二月建立
 高さ62cm、幅30cm、厚さ16cm。
 施主
 北浅羽村中、願主 善心
 供養のは異字形(美の右に良)。
 種子は胎蔵界大日の報身真言。

   石橋供養塔
   石橋供養塔 谷地川(右岸)
   埼玉県坂戸市塚越、西光寺

   川越・児玉往還(往時は鎌倉街道上道)の
   東側、谷地川を望む西光寺にある。
   谷地川は飯盛川の支川。そして飯盛川は
   越辺川の支川だ。この供養塔は六地蔵や
   板碑と共に祠の中に安置されている。
   写真の一番奥が石橋供養塔。
   板碑(鎌倉時代に造立か?)を改造した
   もので、正面には胎蔵界大日の種子が
   残っているという。寛延二年(1749)四月建立
   願主
 妙栄


(参考文献) 坂戸市史 民俗資料編II 石造遺物、坂戸市教育委員会、1983

(補足)坂戸市に存在した石橋
 武蔵国郡村誌の入間郡(4、5巻)から、現在の坂戸市の区域に存在した石橋を集計したのが、
 下記の表である。郡村誌は明治9年の調査を基に編纂された。標目数が多いうえに記述も詳細で、
 極めて優れた書である。しかし、あくまでも村誌であり橋梁の悉皆調査書ではない。
 実際に存在した石橋の数は、下記の集計(合計13基)よりも、もっと多かったはずである。

村名 橋名 記述内容 ページ
横沼村 大橋 越生道に属し村の東方 悪水に架す 長二間巾六尺 463
中小坂村 橋戸橋 川越道に属し村の北方 境川の中流に架す 長一丈巾一間 469
塚越村 鬼橋 秩父道に属し 飯盛川の上流に架す 長六尺巾四尺 481
石井村 〆松橋 東京街道に属し村の北方 飯盛川の上流に架す 長三間巾九尺 484
鬼橋 村道に属し村の南方 用水の上流に架す 長六尺巾五尺  
片柳村 飯盛橋 川越道に属し村の北方 悪水の上流に架す 長二間半巾一間半 493
中橋 坂戸道に属し村の東方 悪水の下流に架す 長二間半巾一間半  
栗生田村 荷鞍橋 秩父道に属し村の西南 悪水の下流に架す 長七尺巾五尺 504
里道に属し村の北方 用水の上流に架す 長六尺五寸巾四尺  
萱方村 坊主ヶ谷戸橋 川越道に属し村の艮の方 用水の中流に架す 長九尺巾五尺 514
戸口村 在家橋 坂戸道に属し村の南方 湧水悪水の下流に架す 長七尺巾四尺 57
沢木村 間近橋 坂戸道に属し村の東南 葛川の下流に架す 長二間巾五尺 68
金田村 里道に属し村の中央 用水の中程に架す 長六尺巾三尺 70

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