橋供養塔 (入間市)_ | 埼玉県の橋供養碑 |
石橋供養塔 入間市宮寺 県道179号線の脇、西多摩郡瑞穂町 二本木との境界に祀られている。 大橋(不老川)の脇であり、ここが 不老川の一級河川管理起点。 寛政五年(1793)十二月 武州入間郡二本木邑 施主 当所 田中源七 隣村助力 男女念仏講中 高さ82cm、幅33cm。 |
石梁供養塔 入間市宮寺1757付近 狭山公会堂から北西へ150m、 排水路の脇 明治五年(1872)四月 武州入間郡坊村石梁二 造立願主 総村中 坊村山際念仏講中 高さ82cm、幅31cm |
石橋供養塔 入間市宮寺1802付近 坊公会堂から南東へ150m、排水路の脇 天保三年(1832)十月 武州入間郡坊村 世話人村中 高さ98cm、幅33cm |
石橋供養塔 入間市宮寺、南中野公会堂 南中野公会堂の前に数対の石仏と 共に祀られている。 寛政十一年(1799)冬 武州宮寺郷 施主 中村某 高さ82cm、幅30cm |
石橋供養 入間市宮寺 県道179号線の[萩原]バス停付近の 交差点に祀られている。 天明二年(1782)三月。釈迦三尊の種子 奉石橋供養 為二世安楽 坂東 西国 秩父 武州入間郡宮寺郷 願主 田島某。 左側面は道標を兼ねていて、左 江戸みち 右 あふめみち 南 山口みちなどとある。 高さ96cm、幅36cm。 |
大橋石橋二所供養仏 入間市寺竹 八瀬橋(霞川)の右岸橋詰に祀られている。 左岸には大正時代の橋の親柱が 保存されている。 明和五年(1768)九月 金子領寺竹村 施主 作兵衛 高さ66cm、幅25cm。 |
石橋二ケ所 入間市西三ツ木 西三ツ木橋(霞川)の右岸橋詰、西三ツ木 墓地の敷地内。文政十年(1827)三月 奉納大乗妙典 国家安穏 石橋二ケ所 武州入間郡金子三ツ木村中 願主 高さ82cm、幅33cm。 |
石橋供養塔 入間市小谷田、東光寺 東光寺の墓地入口、無縁佛の中 寛政三年(1791)三月 施主 小谷田村中 高さ63cm、幅20cm。 |
橋供養 入間市小谷田 桂橋(霞川)の左岸橋詰、自然石の 橋供養塔。 建立年なし 高さ84cm、幅43cm。 |
石橋供養塔 入間市下藤沢 下藤沢と上藤沢との境界、県道8号線の 東側、藤沢橋(不老川)の右岸橋詰 寛政九年(1797)四月 武州入間郡藤沢村 願主 僧侶2名 寄進 近村世話念仏講中。右側面には 架橋の経緯。台座は道標を兼ね、 あふめ 八王子道 江戸 所沢道 高さ92cm、幅35cm。 |
石橋供養塔 入間市上藤沢311付近 不動院の南西100m、橋(不老川)の 左岸橋詰。自然石の橋供養塔 文政六年(1823)四月 中下藤沢 三十一人 高さ43cm、幅33cm。 |
(補足)入間市に存在した石橋
武蔵国郡村誌の入間郡(4巻と5巻)から、現在の入間市の区域に存在した石橋を集計したのが、
下記の表である。郡村誌は明治9年の調査を基に編纂された。標目数が多いうえに記述も詳細で、
極めて優れた書である。しかし、あくまでも村誌であり橋梁の悉皆調査書ではない。
実際に存在した石橋の数は、下記の集計(合計7基)よりも、もっと多かったはずである。
村名 | 橋名 | 記述内容 | ページ |
宮寺村 | 柳瀬橋 | 府中道に属し村の南方 柳瀬川の上流に架す 長四間巾八尺 | 96 |
大橋 | 村の中央 不老川の下流に架す 長九尺巾六尺 | ||
榎戸橋 | 村の中央 不老川の下流に架す 長八尺巾四尺 | ||
山ヶ橋 | 東京道に属し村の中央 宮川の上流に架す 長九尺巾五尺 | ||
弥堂橋 | 東京道に属し村の中央 宮川の上流に架す 長九尺巾六尺 | ||
仏子村 | 上広瀬橋 | 村道に属し村の東方 悪水の下流に架す 長三間巾二間 | 132 |
岩淵村 | 砂田橋 | 村道に属し村の西方 田中堀の上流に架す 長八尺巾七尺 | 195 |
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