石仏・水辺の神様 (その11a)_ | 水辺の神様の一覧 |
荒川(その11)
馬頭観音(道標) 荒川(左岸) さいたま市西区宝来(ほうらい) 百観音堂 形態:集合 状態:良 寛政十年(1798) 高101cm,幅40cm,奥23cm 正面(右下)南,よの/大ミや,道 (左下)北,おい袋(老袋)/ 川こへ,道 |
観音(道標) 荒川(左岸) さいたま市西区宝来、百観音堂 寛政十年(1798) 高123cm,幅40cm,奥27cm 正面(右下)北,おいふくろ/ 加ハこへ(川越),道 (左下)東,与の/大ミや,ミち |
馬頭観音(道標) びん沼川(左岸) さいたま市西区飯田新田(いいだしんでん) 薬師堂(昼間の渡し跡地) 形態:集合 状態:良 嘉永三年(1850) 高112cm(台30cm), 幅36cm,奥28cm 右面(上)右.与野町/大ミや/岩川き,道 左面(上)左.飯田渡舩/川古へ(川越),道 |
↑弁財天 びん沼川(左岸) さいたま市西区飯田新田、八幡神社 八幡神社はびん沼川の左岸縁に 鎮座する。びん沼川は昭和初期の 荒川河川改修前は荒川の旧流路 だった。飯田新田は荒川の右岸に 位置するが、さいたま市である。 かつては荒川の堤外地だった。 治水翁と呼ばれた斎藤祐美の生誕地。 正徳三年(1713) 奉造立弁財天尊像 請願成就攸 講中8人の氏名。 高さ65cm、幅27cm。 |
↑水天宮 びん沼川(左岸) さいたま市西区飯田新田、稲荷神社 明治二十七年(1894)九月建立 北足立郡馬宮村大字飯田新田 発起人 岡田某 世話人 大字植田谷本村新田 岡田某 小島某。台座に30数名の氏名、 地元の飯田新田だけでなく、塚本村や 入間郡南畑村の人名もある。 高さ89cm、幅79cm。 |
↑戸隠山 九頭龍大神 びん沼川(左岸) さいたま市西区塚本町一丁目 明治三十三年(1900)建立 船渡橋(びん沼川)から下流へ800m、 びん沼川が大きく右岸へ蛇行する地点の 左岸堤防際に祀られている。河川工学的には 水衝部であり、洪水時に堤防が決壊しやすい 箇所である。すぐ近くには大きな松が 植えられていて、水塚の旧家もある。 この九頭龍は戸隠神社(長野県長野市)の 九頭龍社を勧請したもので、現在も地元の人々に よって信心されている。高さ75cm、幅55cm。 |
馬頭観音(道標) 荒川(左岸) さいたま市西区島根、東光院 集合(荒川堤防から移築) 状態:並 文政十二年(1829) 高141cm (台45cm),幅45cm,奥45cm 台右面(右)西川古へ(川越)二り半/ 北あき者(秋葉)へ一り半 台左面(右)東よのへ一り/ 南者やせ(早瀬:戸田市)へ三り |
↑戸隠山大権現 びん沼川(右岸) 富士見市南畑新田(なんばたしんでん) 明治二年(1869)四月建立 上南畑村 砂塚橋から150m下流、新砂原樋管の 呑口側(右岸堤防裾)に祀られている。 戸隠山なのでこれは九頭龍(水神)で あろう。高さ45cm、幅25cm。 |
馬頭観音(道標) びん沼川(右岸) 富士見市南畑新田 (砂原)びん沼川右岸、辻 集合(RC覆屋内) 安政二年(1855) 高82cm(台19cm), 幅27cm,奥27cm 台左面(中)西,川越江/二り半/ 飯田王多し(渡し)へ/十八丁 台右面(中)東,ひき又/二り/ 者称くら(羽根倉)/王多しへ/十八丁 |
↑水天宮 芝川(左岸) さいたま市見沼区片柳一丁目、天満宮 俗にいう[片柳の筆塚]の中に、 花塚、歌碑などと共に祀られている。 大正十五年(1926)二月建立 願主 片柳村 守屋某。 高さ109cm、幅68cm。 |
↑道祖神 荒川(左岸) さいたま市桜区五関、東福寺 嘉永三年(1850)五月 足立郡五関村 願主 法印権太僧都賢空 高さ58cm、幅21cm。 東福寺には安永三年(1774)建立の 巨大な石橋供養塔も祀られている |
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