石仏、水辺の神様 (その7a)_ | 水辺の神様の一覧 |
荒川(その4)
石灯篭(石尊) 荒川(右岸) 熊谷市村岡 寛政二年(1790) 国道[村岡三叉]南に単独で状態良 高324cm 最下段の錬り石積: 高48cm、幅225cm、奥178cm 石尊宮 村岡郷講中 背面に 昭和28年5月移築とあり |
九頭龍 荒川(久下橋の下流) 熊谷市久下(くげ) 左岸堤防の川裏小段 明治40年(1907)?建立。 ここには金兵衛の渡(久下の渡)が あったので、水運の安全を祈願して 祀られたのだろう。 |
塞神(道標) 荒川(左岸) 熊谷市久下、権八公園(左岸堤防裾) 寛政八年(1796)五月 中山道から移築 高105cm(台15cm),幅30cm,奥17cm 台正面に一猿の浮き彫り 右面(下)右熊谷道 左面(下)左松山道 |
不動明王(道標) 荒川(左岸) 熊谷市久下、権八地蔵 地蔵堂の祠内 慶応三年(1867)九月 台座が大宮、鴻巣、行田、 松山などへの道標となっている。 |
馬頭観世音(道標) 荒川(左岸) 熊谷市久下 左岸堤防の川裏裾、 稲荷社(久下新田の一里塚跡地)脇 ここは昭和22年に荒川の堤防が 決壊した地である。 天保十二年(1841)二月 高123cm(台34cm),幅39cm,奥38cm 前大乗愚禅書。台座に13人の氏名と 寄付金、熊谷や鴻巣への道標を兼ねる |
巡礼塔(道標) 荒川(左岸) 熊谷市新川(しんかわ) 荒川河川敷(旧新川村墓地) 天保十一年(1840)二月 高73cm(台11cm),幅30cm,奥19cm 右面(下)江戸道 左面(下)のハ良/毛ん寿,道 (野原文殊) |
水難者供養塔 荒川(右岸) 大里郡大里町小泉、常永寺 荒川の右岸堤防から南へ450m。 昭和十四年(1939)九月建立。 昭和13年9月に市田村の右岸堤防が 決壊。その死者37名を供養したもの。 |
弁才天 荒川(右岸) 大里郡大里町小泉、常永寺 寛延二年(1749)十一月建立 常永寺の境内には池があり、その 中島に祀られている。左右の側面に 願主18人の氏名。 |
庚申塔 荒川(右岸) 大里郡大里町屈戸(くつと) 延宝二年(1674)八月建立 三猿、二鶏。常永寺(小泉)から東へ 250mの畑の中にある。脇を流れる 水路は切れ所沼から流れ出し、 通殿川へ合流する。 |
石灯篭(石尊) 荒川(右岸) 大里郡大里町屈戸 荒川右岸堤防から300m南、町道の辻 文久二年(1862)六月 状態良 高245cm,基壇の錬り石積みは 高51cm,幅121cm,奥112cm 石尊大権現/大天狗/小天狗 |
庚申塔 荒川(右岸堤防) 大里郡大里町津田新田 安永九年(1780)十月建立 琴平神社の脇にある。ここは 天水の渡(九頭龍の渡)の 入口だった。琴平神社は 舟運関係者の信仰が多い。 |
馬頭観世音と庚申塔 荒川(右岸) 埼玉県大里郡大里町津田新田 津田新田集会所付近の右岸堤防の裾に 祀られている。馬頭観世音は寛政四年(1792)。 庚申塔(像塔)は享保四年(1719)二月建立、 津田新田 施主講中。 文字庚申塔は寛文九年(1669)三月建立、 庚申供養二世安楽所。下部に三猿。これは埼玉県の 近世の庚申塔としては、かなり古い部類に属す。 |
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