石仏、水辺の神様 (その5a)_ | 水辺の神様の一覧 |
福川の周辺(その2)
↑百観音巡礼供養、西国巡礼供養 福川(左岸) 大里郡妻沼町上須戸(かみすど) 上須戸保育所から100m北西、県道303号線の脇にある。 福川の左岸堤防から150m北の地点。 百観音巡礼供養:延享二年(1745)七月 上須戸村 西国巡礼供養:明和七年(1770)十二月 上須戸村 願主 石井某 |
↑僧形庚申塔 福川(右岸) 大里郡妻沼町西城(にしじょう) 福川の右岸堤防に隣接した長慶寺の 門前。寛文元年(1661) 庚申尊像 二世安楽処。埼玉県の近世の庚申塔 としては古い部類。主尊が青面金剛 ではなく、僧(4手)と珍しい。2猿で、 頂部は日月ではなく雌雄の鶏。 |
↑弁才天? 福川(右岸)) 大里郡妻沼町西城 長慶寺から南西へ150mにある弁天堂に 祀られている。昭和九年(1934)建立。 頂部にとぐろを巻いた蛇の線画。 明治43年の大洪水のさいに家族7名が 九死に一生を得たのを感謝して建立。 |
庚申塔 福川(江波橋右岸) 大里郡妻沼町西城 森谷八坂神社に祀られている。 延宝八年(1680)庚申年建立 青面金剛(合掌)、三猿 |
庚申供養と塞神 福川(堀米橋の右岸) 大里郡妻沼町日向(ひなた) (左)庚申供養 頂部で折れている。 真ん中にあるのが頂部。宝暦年間建立 (右)塞神 表面が削られているようなので、 忍領に特有な庚申塔を改刻した塞神だろう。 |
庚申塔 福川(右岸) 大里郡妻沼町日向、島田家墓地 延宝八年(1680)二月 6手(非合掌)、日月、邪鬼、3猿、2鶏 |
道祖神 行田市北河原、熊野神社 明治三十二年(1899)冬再建 願主 神田勝蔵 世話人2名 馬頭観音と共に並ぶ |
庚申塔と馬頭観音 福川(切れ所沼の付近) 埼玉県行田市北河原 切れ所沼から西へ50mのT字路に、庚申塔が3体と 馬頭観音が祀られている。写真背後の堤防は福川の 右岸堤防(ではなく、旧堤防の中条堤(北河原堤)。 写真中央の庚申塔(青面金剛像)は、 延宝八年(1680)建立と古い。 右端の馬頭観音(文字塔)は享保二十年(1735) |
地蔵(道標) 行田市北河原 北河原小の南東、県道59号の交差点 宝暦六年(1756) 高171cm(台16cm),幅30cm,奥21cm 台正面(中)右 めぬまへ/二り/ 左 く満加や(熊谷)へ/二り/ 東 羽生へ/三り 写真右端の壊れた石仏も道標を兼ねる |
↑道祖神(道標)、庚申塔、馬頭観音 旧福川(左岸) 大里郡妻沼町弥藤吾(やとうご) ここは斉藤塚と呼ばれ、文治五年(1189)に斉藤実盛の 子供達が父の遺物を埋葬した塚だとされている。 道祖神:万延元年(1860)十二月 弥藤吾講中 7名。 熊谷道への道標を兼ねている。 庚申塔:明和三年(1766)。 |
↑水神 旧福川(右岸) 大里郡妻沼町上根(かみね) 天明元年(1781)六月建立。 妻沼高校の南側、歩行者専用橋の 下流50mの右岸に祀られている。 石祠に入れられ、周囲はコンクリートで 囲まれている。 |
水神 別府沼 熊谷市西別府(にしべっぷ) 湯殿神社 別府沼の水源池に祀られている。 古くは福川の源流でもあった。 寛文十一年(1671)九月 |
庚申塔(道標) 熊谷市西別府 安楽寺、九品仏堂 集合 状態:並 日月、三猿 元文三年(1738)五月 高102cm(台13cm),幅35cm,奥22cm 右面(下)東くまがい道/ 西奈可せ(中瀬)道 |
庚申塔(道標) 熊谷市西別府 観音堂の東、辻 集合 状態:不良(表面剥離、非固定) 寛政十二年(1800)十一月 高84cm(台19cm),幅27cm,奥19cm 台正面(右)東熊谷 (中)北妻沼 (左)西ふ可や(深谷) |
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